いつまでも続きそうな会議を予め宣言しておいた時間通りに打ち切って,急ぎタクシーに飛び乗って河原町三条の京都ロイヤルホテルへ。梅之助(舞台を降りた彼と同席すると,自然と「中村梅之助氏」と呼びたくなるのだが)が上洛した機会にと,で彼を囲む会が開かれたのだ。会場には既に大御所の両先生始め,歴々が着いておられて梅之助と談笑しておられた。恐縮しつつ挨拶。今回は,梅雀のファンクラブも合流したとかで,なかなかの盛況だった。
梅之助の挨拶の中で印象的だったのは,「間もなく80周年を迎える前進座の歴史と共に歩いてこられて,苦しかったときのエピソードをいくつか」,という質問に答えて彼の話したことだ。「前進座の古株の誰に聞いても同じように答えるでしょうね,今が一番苦しいです,と。過去にいくつも危機はあったけれど,何とかそれを乗り越えてきた今から見れば,それは大したことではなかった,現にそれを切り抜けてここまで来たのだから。だが,面前のこの危機こそは,ひょっとしたらわれわれを押し潰すかもしれない本物の危機なのだ,と。」 現在の座の状況を念頭に話された言葉なのだろうが,考えさせられる言葉だ。 まだ21時を少し回っただけだというのに,河原町の通行人は少なく,扉を開けた客待ちのタクシーばかりが目立った中を,四条まで歩き,電車で帰宅。明日に向けて考えておかなくてはならないことのリストは長い。 #
by kriminalisto
| 2008-10-10 00:20
| 日記・コラム・つぶやき
日曜日の秋葉原,歩行者天国での殺傷事件。この日は横浜に出張中で,事件のことはまったく知らず,夜遅くに京都駅から乗ったタクシーの運転手から聞いた報道内容に,心底驚いた。──池田小学校事件から7年目の記念日ではないか。
もう一つ。じつは,この種の事件が起きるたびに僕がひそかに恐れているのは,新聞やテレビの記者からの「何かコメントをお願いしたい」との電話だ。 一体何を,話せるというのだろうか。個人の具体的な犯罪行為の「原因」など,絶対に分かるはずがない。彼(あるいは彼女)の犯行直前までの,経験したことのすべてが何らかの影響を彼に及ぼし,また犯罪行為を取り巻いていた環境条件のすべてが,彼の行為の「原因」だったとしか言いようがないではないか。 例によって,勇敢なF先生が『日経』紙に談話を寄せている── 容疑者がトラックで人をはねてからナイフで刺した事件の展開を「暴力団同士の抗争でよく見られる手法だ」と指摘,「より大量に人を殺すために何が効果的か学習しているように思える。社会に不満をためた人が起こす最近の『不満爆発型』の犯罪は発作的でなく計画的なので,模倣されエスカレートしやすい」と話している。また,日曜日や人込みを狙った点については,「普段注目を浴びない人は逆に自己顕示欲が強く、注目されたい意識の表れ」と分析して見せている。(日経・2008年6月8日) しかし,この談話の中に,何かの科学的な根拠に裏付けられた説明を見出すことができるだろうか。あるいは,何らかの有用な犯罪対策の提言が含まれているだろうか。そこにあるのは,せいぜいのところ,気の利いた,しかし無責任な,評論でしかないのではないだろうか。 だが,知られるとおり,評論家と学者は別物だったはずなのだが。 #
by kriminalisto
| 2008-06-11 00:36
| 日記・コラム・つぶやき
春が来た,というのをいつ実感するかは,実際の居住地域の別はあっても,それぞれの民族に固有の共通感覚があるに違いない。一種の「文化基準」のような。そして,日本人のわれわれのそれは,やはり,桜の開花と深く結びついているのではないだろうか── 昨日の夕方,川端通りを会合の場所に急ぐ車の窓から見た白川の桜はもう八分の開花だった。
インターネット・ブラウザのホームページの片隅に配置したガジェット上で流れている,モスクワ大学の塔からのWebCamera映像でも,この1週間でもう雪も消えてしまった。 http://158.250.33.102/axis-cgi/mjpg/video.cgi?camer なんだか朝から,笑い声の絶えない研究室職員の娘さんたちに声をかけてみた:「どうしてそんなに上機嫌なんですか?」 「だって,春なんですもの!」──彼女たちが声をそろえて,いかにも楽しげに答えてくれたあの日の,モスクワの研究所での情景が脳裏に去来することだ。 #
by kriminalisto
| 2008-03-30 22:31
| 日記・コラム・つぶやき
黄砂が吹き寄せ,花粉が舞い,街の空気は心持ちよどんでいるが,それでも確実に「間もなく春だ」ということが感じられるようになった。
もうとっくに出ているはずの本が一向に姿を見せないのが気にかかるが,そんなことは大したことではない。そのうちに出るだろう。問題は,多くの同僚が生産的な作業をつめているだろうこの春の休暇にもかかわらず,僕にはまったくその時間がないということだ。 その中で,明後日からは中国で一週間。日中青少年友好年ということで両国の青少年1,000人づつの相互訪問が実施されるのに際して,大学に中国政府から学生の招待があり,100名の学生をともなっての訪中となった次第。しかし,正直に言って,心は弾まない。──この間の「冷凍餃子」事件を巡っても表面化したように,彼我の間には「宿命的」なとさえ言える相互の依存関係があり,またそれだけに,深刻かつ微妙な政治問題と市民の意識における屈折がある。突然にそれに直面して,学生たちはどう反応するだろうかと思う。いや,それが問題だというわけではないことはわかっている。問題は僕自身の中にあるのだ。だが,それを説明することは簡単ではない.... 別段,思わせぶりなことを言うつもりはないのだが,僕の頭の中で,高校時代に読んだ毛沢東の『矛盾論』のテキストのいくつかや,中ソ論争を伝える新聞の紙面の映像,文化大革命期のニュース画面,赤い『毛沢東語録』の小冊,横たわる毛沢東の遺体の写真,「四人組」裁判の報道,そして突然に始まった鄧小平の下での「改革開放」という名の市場経済化── このころからは,現在の中国の姿に重なり合ってくるが,この間の過程の振幅の激しさから見たとき,その評価について(あるいは感情的に)整理がつかないのだ。過去2・3回の北京や天津など都市部の訪問でも,その折のまた日本での中国人研究者や政治家との面談から得た印象でも,結局は拭いがたい違和感が残ったままなのだ。この厄介な「引っかかり」をどうしたものだろう。 #
by kriminalisto
| 2008-03-09 00:33
| 日記・コラム・つぶやき
もうとっくに正月気分は抜けているが,それでもこのところ恒例の前進座新春公演。今年の演目は河竹黙阿弥の「三人吉三巴白浪」。大川端の場での國太郎演じるお嬢吉三の「月もおぼろに白魚の」に始まる名科白だけでも,木戸銭の価値はありそうだ。黙阿弥の世話物らしく,入り組んだ因果因縁の物語だが,その発端が伝吉の刀剣の盗み出しと襲ってきた野犬の殺害だったと考えると,何とも暗い話だ──知らぬ間に近親相姦のタブーを犯し,実の兄・和尚吉三に殺され首にされる十三郎とおとせ,救いがない。が,舞台としてはきわめて美しく,とくに大詰めの「本郷火の見櫓」の場では,降り止むことのない雪の中で赤地衣裳のお嬢,黒地衣裳に浅黄襦袢のお坊,表地黒で裏が紫という捕手たちの格好も決まって,大立ち回りの中で幕が閉じられた。
舞台が跳ねた後の懇親会には,わざわざ梅之助が上洛して出席となったのも,昨年秋の梅雀の退座やら何やらについて説明せねば,との気遣いからだろう。だが,そのあたりの事情は大よその見当がついていることで,誰も気にしていない。それでも,来てくれたことは嬉しく,この機会に先日の朝日舞台芸術賞の受賞をお祝いした。 何時会っても,この人は,巧みな話術と細やかな気配り,役者としてだけでなく人間としても「格」のようなものを感じさせられる。 聞きそびれたのは,つまらぬことなのだが,おとせが拾い,お嬢が奪い,和尚がせしめ..... と転々とする百両の「かさ」のことだ。あれではせいぜい切り餅一つ,二五両程にしか見えないのだが。 #
by kriminalisto
| 2008-01-14 12:20
| 日記・コラム・つぶやき
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