大学院生の中に勇敢なお嬢さんがいて,この夏,モスクワとサンクト=ペテルブルグを旅行して,無事帰国したとの知らせとともに,お土産の黒パンが届けられた。
ほっとして,嬉しかった──ほっとしたのは,彼女がともかくも無事に帰国したらしい(今度会ったときにいろいろと聞いてみよう)こと,嬉しかったのは,黒パンが到着したことだ。 何だ,パンのごときで,と言うなかれ,これはとても貴重なものなのだ。まず,日本では手に入らない。(横浜の「サンドリヨン」というパンやさんが,ほぼこれに近いものを作って,インターネットでも注文できるが,やはり本物ではない。) しかもボロジンスキー! ボロジノというのはモスクワの西100kmほどの村の名前で,そこのライ麦を使ったパンなのかもしれないが,それよりも,1812年のフランス軍との大会戦で有名な平原で,「ボロジノ」というのはロシア人にとって格別の思い入れがある名前らしい。それはともあれ,黒パンとしては超一級のもの。早速,ペーパータオルでくるみ,ビニール袋に入れて,冷凍庫へ。 これでしばらく楽しめる。 と思ったとたんに,不愉快なことを思い出した──クバンスカヤが無かった。 2000年頃から,日本ではなかなか買えなくなり,しかも,味が変わってしまった。かつてのような自然な風味が無くなり,機械的な味がするようになった。さりとて,アブソリュートのシトロンに乗り換えられるものではない。まったく別物だ。どうやってもう一度,本物のクバンスカヤにたどり着けるか..... 心の底でおそれているのは,もしかしたら,本国でこの銘柄が無くなっているのではないかということだ。 #
by kriminalisto
| 2006-09-09 14:52
| 日記・コラム・つぶやき
中学・高校と一緒だったA君が郷里の国立大学で医学部の教授となり,専門が皮膚科で頭髪の権威だということは知っていた。毎年交換している賀状でも,当方の頭髪が無くなってしまう前に,画期的な新薬の発明をと,祈らんばかりに頼んできたものだ。
知らなかったのは,彼が辻 邦生のフアンで,その全作品に惚れ込んでいたことだ。 郷里で開かれた同窓会の同じテーブルで,偶然にこの事実を聞き,とたんに嬉しくなって,思わず二人で話し込んでしまった。未完に終わってしまった『フーシェ 革命暦』の大構想,『春の戴冠』に描かれたフィレンツェ,『西行花伝』での西行の描き方,『安土往還記』での信長のいかに魅力的なことか。そして,何よりも『背教者ユリアヌス』! かつて大学の記念祭典にノーベル賞作家のOを呼ぼうという動きがあり,彼が強く反対して辻 邦生を推薦したということもあったとのこと。当然のことだろう,およそ比較にならない。圧倒的な言葉の力,言葉の美しさ──そう,すべての若い人たちにきちんと読ませるべきは,まさにこれらの本なのだ。 #
by kriminalisto
| 2006-08-15 19:55
| 日記・コラム・つぶやき
格別の思いいれも無くて,長い間出席しなかった郷里の高校の同窓会だが。今回出席したのは,卒業後40年という区切りにあたると言われて,「ということは,この機会に会わなければもう一生会えないかもしれない」と思ったことが大きいだろう。電話で誘った友人のYのように,「別段会いたい人間が居るわけでもないし」,と尻込みする気分はどこかに残っていたのだが。
団塊の世代のわれわれの学年は600人ほどもいたはずだが,出席者は100人ほど。多くの懐かしい顔に出合った──というのは,むしろ,各人が胸に着けたカードにプリントされた卒業写真の顔の方で,生身の身体に着いた顔はとうてい見分けがつかない。それでも,3年間の在学中に同じクラスになったことのある何人かは,昔のままの雰囲気をたたえていて,断片的な思い出話など。 それにしても(と思ったことだった),一別以来われわれの世代がたどった歴史はそれなりに振幅の大きいもので,大学では学園紛争,卒業後は石油ショック,アフガン戦争,地価バブル,平成大不況,社会主義圏の崩壊,テロ戦争,と振り回される中で,多くの者が個人生活の上でもさまざまに成功と失意とを味わってきたに相違ない。出席しなかった者の中には,あるいは,気分的にも経済的にも,出席するゆとりのない友人たちがいたことだろう。だが,はっきりしているのは,われわれの今の経済的な富裕であれ窮迫であれ,あるいは社会的な地位もまた,多少の天分や努力の寄与はあったにせよ,その大部分は偶然的なものの作用の結果なのであり,そしてさらに,たとえば40年後には,ほとんどすべての者にとって,何の意味もないものに返っていることだろう。 それでも。数えた人によれば,われわれ600人の同窓生の内では110人余が医者になっているそうだ。とても尋常な比率とは思われないが,ニ次会の席で赤ら顔でカラオケに向かい,ゴルフの腕を自慢するだけのそれら面々を見ていると,日々この手の「成功者」の顔を見ながら暮らしていくことはさぞかし不愉快だろうと,この地に住んでいない幸せを思わずにはいられなかった。 もう一つ発見,というよりは再確認したのは,人間の基本的な性格,人柄は簡単には変わらないということだ。40年経っても,にきび面のあの頃とまったく変わらずに横柄で,開口一番,予想したとおりに人を不愉快にせずにはおかない男がいる一方で,冗談の一つも言わずに相手を愉快な気分にさせ,打ち解けさせる者も,破天荒,支離滅裂な話をがなり立てているうちに,不思議と相手を説得してしまっている者もいる。当方の顔を覗き込みながら,真剣に話し込んでいたはずなの相手が,ふぃと居なくなってしまって,ああ,40年前もこんなことがあった,と思い出したりもした。 #
by kriminalisto
| 2006-08-15 14:53
| 日記・コラム・つぶやき
通勤の行き帰りの読書の楽しみは,この間しばらくおあずけだった(全般的な気ぜわしさと良い作品の不足のおかげで)のだが,久しぶりの手応えを感じさせてくれる作品に出会ったように思う。この,スペインで2001年に公刊されたカルロス・ルイス・サフォンの小説が,木村裕美さんという優れた翻訳者の手でわが国に紹介されたことの幸運を思わずには居られない(集英社文庫・上下2冊)。
小説の舞台となっているのは,凄惨な内戦の後,ヨーロッパ諸国との奇妙な力のバランスによってヨーロッパの大戦の直接の惨禍を免れたスペイン,バルセロナ。ある日、父に連れられて訪れた「忘れられた書物の墓場」で1冊の本と出会った少年が,まずはその『風の影』という本に魅惑され,その作者の足跡を探すうちに多くの,錯綜する謎につきあたり,またいつしかその作者と自分の運命が似た軌跡を描いていることに気付き,この一冊の本をめぐって,謎の作家カラックスと少年ダニエルとの過去と未来とが交差する―― 多くの評者が「ロシア人形」のような,と言っているのはマトリョーシカのことだろう。入れ子細工のような,一つの謎は新たな謎を生み,それはそれでまた次の謎を引き寄せるといったような,ゴダードの小説とも似た作風だ。 こま切れの読書はまだ途中だが,このような作品に出会うと,早く全体を読んでしまいたいという気持ちと,それがあまり早く終わってしまうことが残念で,むしろゆっくりと,いつまでも読んでいたいような,アンビバレントな気持に捉えられる。 #
by kriminalisto
| 2006-07-29 00:39
| 日記・コラム・つぶやき
小学校が夏休みになったこの時期は,大学は前期末の定期試験で,「夏休みに遊ぶために,今の苦行に耐えよ」とばかりに,学生にとっては大きなヤマ場となっている。教師の場合はもう少し遅れて,その後の採点作業が大きな負担となるのだが,これは人によって様ざま──本当に,試験会場から事務室まで答案を持ち帰る間に採点が終わってしまうような教員も,実に半月以上も,単調な答案・レポートの採点に明け暮れることを余儀なくされる教員もいるのが実情だ。つまりは,科目の性格と受講生の数によって決まってくるわけで,仕方がないとは言え,「同じ賃金を貰っているのに....」と恨めしくなることも。
まあ,それでも,その後に夏休みがあるではないか,と言われるのだが,これがかなりの誤解を含む評なのだ。つまり,開講期間中が授業準備や教材作り,そして教室での精力を絞っての授業,学生の求めに応じての補講や答案の添削,果てはネットを通じての質問への対応に追われるようになった昨今では,継続的なテーマでの研究と思索,原稿執筆に当てられる時間は,ほぼ,夏の休暇時に限られており,この期間にいかに精力的に働くかが,決定的に重要となっている。ある意味では,開講期間中以上に忙しく,精神的には大きなストレスのかかる「休暇」なのだ。 懐かしいのは「むかしの平和」。7月の声を聞くと,教壇で先生が「暑いからもう授業は止めておこう」などと言い,9月の終わりに授業が再開されたかと思うと,すぐ秋になってしまったものだった。多分,正常なのは今の状態だろうが,この余裕のなくなった分だけ,わが国の大学教育は充実したのだろうか。 #
by kriminalisto
| 2006-07-23 21:39
| 日記・コラム・つぶやき
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