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一年の終わりに

 暮れも押し詰まった30日になって,奈良の少女誘拐殺人事件が真犯人と思しき人物の逮捕により一転解決した。が,この事件にはいろいろと考えさせる要素が存在する。
 一つは,ペドフィリアpedophiliaという厄介な性倒錯の問題だ。性はきわめて個人的な嗜好に基づく肉体的精神的欲求充足の行為であり,その多様性はかなりの限度まで社会的に容認されている。が,その限度を超えるとき,とりわけ対象者の権利や自由の侵害をともなうときはおぞましい犯罪となる── おぞましいのは,それが被害者に人格的な屈辱感,精神的な傷痕を残すからだ。ペドフィリアは一面において典型的な老人の犯罪であり,女性に対する通常の性行為を行えない老人の代償的な性的行為だが,他面では,マルキ・ド・サドの多くの作品に描き出されるところから知られるような,権勢ある大人の子供に対する一方的な玩弄的性行為でもある。わが国でも武家や寺社の「お稚児さん」の存在が知られており,その意味では洋の東西を問わずにこの種の倒錯行為は歴史的な伝統を持っている。しかし,かといって全ての大人がそのような嗜好を持つわけでもないし,興味のない者からすればそのような性衝動は不可解という他ない。ある個人がこの種の倒錯的な性衝動に走るについて,何が決定的なものであるかは明らかでない。おそらくは,それは,人間の深層において個性と人格を規定している諸要素のもたらした結果なのだろう。であれば,そのような嗜好を除去することは決して容易ではない。現に今回の被疑者も,過去に2回にわたって少女に強制猥褻や殺人未遂の罪に問われた前歴があったと伝えられている。人格は変わらない,のだ。
 では,どうするか。かつては治療法として,去勢(生殖腺の切除)ないし断種(輸精管・輸卵管の結索),ホルモン療法,定位脳手術などが用いられたことがあるが,それらの多くは被術者の基本的人権を侵害する可能性があるとして今日では一般的に用いられない。わが国でも旧優生保護法が断種手術につき規定していたが,1996年の母体保護法への全面改正の際に削除されている。その判断は,おそらくは,やむをえなかったものだろうが,悔やまれるのはそれにともなう社会的な論議がまったくなかった点だ。
 犯罪傾向を持つ性倒錯者(その判定がいかにして可能かの論点は別にして)の上のような方法での隔離が不可能であれば,結局は,メーガン法Megan's Law のような社会的隔離の手段が必要なのかもしれない。おそらく,今後急速にこの種の議論が活発化するに違いない。だが,本当に効果があるのか,その否定的な副作用を超えるメリットがあるのか.... 慎重な検討が必要だろう。
 もう一つ,考えさせられたのは,携帯電話という"利器"をめぐるさまざまな現象のことだ。最近読んだ典型的な評価は斎藤貴男のものだが,そこでは「携帯を持ったサル」を超えて,全ての情報あるいは自身の存在そのものすら他人(国家)に掌握されて安心しきっている心理に潜む自由の危機という視点からこれを検討していた(『安心のファシズム』岩波新書)。だが,そのような指摘に深く共感はしても,鉄道の自動開札システム同様,そこから引き返すことはもはや無理だろうと思う。今回の被疑者の逮捕に至った最大の功績者は携帯電話に関係するGPSシステムだが,これが市民の自由に対する究極の統制手段とならないことを祈るばかりだ。それにしても,多機能になった携帯電話が脅迫手段にも,わいせつな画像や動画の提示装置にもなり,それを手にした者は他人にそれを見せて自慢せずにはいられないという現象。これはいったい何なのだろうか。
by kriminalisto | 2004-12-31 17:56
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