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「犯罪学はペダントの学問」?

  犯罪のような複雑で興味津々の現象については,それこそあらゆる分野からの研究あるいは「突っつき」が可能だろうことは当然予想できる。そして,多くの場合,思いもかけない視角からの検討が提示されて,斬新な結論とともに,これまでの自分の無知の証拠をも突きつけられ,新しい領域への探索に誘われるのだ。だが,それはあくまでも「多くの場合」であって,そうでない,とんでもない迷論を持ち込まれることもないではない。だが,もっと警戒せねばならないのは,斬新な切り口の研究成果に大きな落とし穴が隠れているようなばあいだろう。
  例によって通勤の途中に読んだ長谷川眞理子「戦後日本社会における犯罪」(橘木編『リスク社会を生きる』岩波2004の第7章)は面白かった。進化生物学・行動生態学を専門とする生物学者である筆者は,ここで,「人間の個体間にある,殺人にまでいたるような利害の対立と葛藤とはどのようなものであるのか,その葛藤に対処するにあたって,殺人のようなリスクの大きい選択肢をとる人間は,どのような状況におかれているのか,といった観点から,戦後日本の殺人を分析」してみせるのである。そこで示された結論自体は,従来すでに指摘されていたことも多い(第二次世界大戦後のわが国の,とりわけ若年層における,世界にも例を見ない「殺人率」の低下,そして異常なまでのその低さ)し,また,戦後日本のジニ係数の推移と殺人事犯検挙人員のそれとの対比などには目を引き付けられたのだが,彼女の着想と結論の検証の一般的基準として用意されているのが,ほとんど Daly & Wilsonの1988年の本(彼女自身の翻訳で99年に邦訳が出ている─『人が人を殺すとき』─)だけであることに気づくと,ちょっと心配になってくる。
 とくに問題は,殺人の種類を 1>普通殺人,2>尊属殺,3>嬰児殺,4>自殺関与 の4種類に分け(なんと大胆な),もちろん最大部分は「普通殺人」なのだが,その「大部分は血縁関係にない個人どうしの殺人である」と断じ,以下の立論の前提とされていることである。周知のとおり,この前提は誤っている。警察白書その他多くの資料によって示されているとおり,殺人の加害者・被害者の関係で最大のものは親族関係であり,例年,40%強が親族間の殺人である。もちろん,親族=血縁関係ではなく,統計についてはさらにその内容を検討しなくてはならないが,それでもこの「親族」のかなりは「血縁関係」のある者となるだろうと想定される。このことは常識だと思っていたのだが,長谷川は「遺伝子を共有する個体どうしの間には血縁淘汰が働くので,そのような個人間で殺人が起こることはまれだと予測される」とし,「実際,これまでの研究でも,血縁者間の殺人は,非血縁者どうしの殺人よりも起こる確率が非常に低いことが示されている」と締めくくる。「これまでの研究」として根拠とされているのは,ここでも『人が人を殺すとき』だけである。同じような,(僕に言わせれば)根拠の薄弱な断定はそのあともさまざまに続くのだが,いつか,ヒマができたら,きちんと読んでみよう。今は忙しい。
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by kriminalisto | 2005-11-11 00:23 | 日記・コラム・つぶやき

多くの心優しき男たちが

 「わたしはボトルを手にして自分の寝室に向かった。服を脱いでパンツ一枚になり,ベッドに入った。すべてが調和とはほど遠い。人はそれが何であれ,目の前のものにがむしゃらにしがみつく。共産主義,健康食品,禅,サーフィン,バレエ,催眠術,グループ・エンカウンター,乱交パーティー,自転車乗り,ハーブ,カトリック教,ウエイト・リフティング,旅行,蟄居,菜食主義,インド,絵画,創作,彫刻,作曲,指揮,バックパッキング,ヨガ,性交,ギャンブル,酒,盛り場漫歩,フローズン・ヨーグルト,ベートーベン,バッハ,仏陀,キリスト,超越瞑想法,ヘロイン,人参ジュース,自殺,手作りのスーツ,ジェット旅行,ニューヨーク・シティ。そしてすべてはばらばらになって消え去ってしまう。人は死を待つ間,何かすることを見つけなければならない。選べるというのはなかなかいいことだと思う。わたしも自分が何をしたいのか選んだ。ウオッカの五分の一ガロン壜をつかんでそのままラッパ飲みした。ロシア人だってわかっていたのだ。」
 ──今朝,通勤のバスの中で目に飛び込んできたブコウスキーの言葉。
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by kriminalisto | 2005-11-07 23:34 | 日記・コラム・つぶやき