<   2005年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

木屋町のバーでの会話

 「 ──さん,あなたは人生の意味をどう考えていますか。」 いい加減アルコールの回った頭の中で,V.さんの言葉がはじけた。顔をあげると,面長な彼が静かにこちらをのぞき込んでいる。真面目な問いかけなのだ。
 いつもながらに,僕の頭の中では二重の回路があわただしく作動し始める。「あなたも知っているとおり,学生時代の僕は── 」と説明し始めて,そこで止まってしまった。考えをまとめ,それを外国語に直して,という二段階の,しかしここで詰まってしまったのは第一のそれだ。
 今の僕自身にとって,本当のところ何が支えとなっているのだろうか。学生時代に,あるいは研究者となった当初に,思い描いていたような将来があったはずだが,それが実現しなかったからといって誰を責められようか。すでに中堅を通り越した現在の自分にとって,何らかの意味のある毎日がめぐっているのだろうか。そして,夢見ることが許されるとして,どのような未来を(あるいは終末を)思い描くことができるだろうか。
 記憶に残る戦没学生の詩に,「人はのぞみを喪っても生きつづけていくのだ」というフレーズがあったと,脈絡もなく思い出す。
 だが言うまい。V.さんは日本での雇用契約延長にかけた望みを絶たれて,近く,妻子とともにアメリカに渡るのだ。今はただ,ウオトカの最後のグラスを掲げ,どうか幸せに,そしていつかまた会いましょう,と。
[PR]
by kriminalisto | 2005-08-17 23:40 | 日記・コラム・つぶやき

もう一つ,気になるのは

 自殺サイト殺人事件にかかわって,刑法研究者としては,もう一つ,気になることがある。

 よく知られているように,追死する意思がないのにあるかに装って,被害者の同意を得て殺した「偽装心中」の事例について,わが国の裁判所はこれを刑法202条(同意殺人罪)でなく199条(殺人罪)にあたるとするのだが,団藤・大塚といった大家がこれに従う態度をとることを不当だと非難し,この場合,死ぬことについての被害者の同意には何ら欠けるところがない(精神薄弱者を,一度死んでもまた生き返れると欺き,同意させて殺した場合とは異なる)のだから,当然に202条の問題だとするのが,平野博士以降の有力説であり,近年はむしろ通説となっている。
 しかし,今回のような事件において,たとえ犯罪者の側には自殺の意思は毛頭なく,むしろ快楽のために殺害しようとしているときであっても,被害者には自殺意思があった(と思われる)ことを根拠に,やはり202条を適用すべきだという主張は可能だろうか。──直感的には,かなりまずいような気がする。が,かといってこれを199条とすると,判例の立場に後戻りしてしまうことに道を開くような。
 ちょっと考えてみよう。
[PR]
by kriminalisto | 2005-08-09 00:21 | 日記・コラム・つぶやき

自殺サイト殺人

 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件などというものを,誰が想像できただろうか。
 大阪府河内長野市ですでに3人の犠牲者が明らかとなっている前上某の犯罪は,さまざまな意味でわれわれの意表をつくものだった。この事件はわが国の犯罪史に残ることとなるだろう──おそらくは,この種の多様な犯罪の最初のケースとして。
 彼にとって,他人が窒息の恐怖と苦悶にもだえる姿は,何よりも性的な興奮をもたらすという。「男でも女でも,苦しむ顔を見るのがたまらない」,と。
 報道されるところでは,殺害に通じる衝動は中学生時代からとみられ,大阪府警の調べにも「小説の挿絵に,子供が口を押さえられる様子が描かれているのを見て興奮した」と供述。自作のホームページに主人公の自分が他人を窒息させる小説を書き,ネットで入手したグロテスクな写真を掲載していた。また,1995年から2002年にかけては,通行人の口をふさいだとして傷害容疑で3回逮捕されており,実刑判決を受けたこともあった,という。
 この経験に学んだということだろうか,効率の悪い通行人よりは,無防備で都合のよい被害者を求めて,自殺志願者に目をつけた彼が,インターネットの自殺サイトに網を張り始めたのは昨年10月。約2カ月後に知り合った最初の被害者に「一緒に練炭自殺をしませんか」と持ちかけ,「お願いします」と応じられると,練炭や七輪を用意してみせるなど,信用を得るためにさまざまな行動をとり,最終的に殺害に成功している。
 それにしても,「どうせ死ぬんやから夕食を抜いてください」「めばりテープを張る準備がしにくくなるのでつめを切っておいてください」といった,彼が被害者に送ったメールの不気味さは格別だ── まるで『注文の多い料理店』ではないか。

 この種の事件が起きた際にいつも思うことは,人間というものの不思議さと,そのような存在として生かされていることの悲しみだ。だがそれは所詮は個人の感想で,社会は犯罪者の責任を追求し,同種の犯罪の再発を防ぐための確実な措置を声高に求める。そしてそれは「正しい」。
 しかし,問題は,どのようにしてそれらは可能か,ということだ。
[PR]
by kriminalisto | 2005-08-08 23:35 | 日記・コラム・つぶやき