<   2004年 06月 ( 6 )   > この月の画像一覧

警察・裏金・パトカー修理費

毎日のように警察の「裏金」報道が続く。今度は京都府警。
 ここでも、最近まで、各捜査員に支給される捜査旅費(国費)は事実上、捜査員名義の通帳や暗証番号を添えたキャッシュカードを保管する中間管理職の警部らの処理にゆだねられ、彼らが勝手に引き出した金の多くは、飲食代や必要経費として流用され、幹部クラスが分配を取り仕切るなど、組織的な裏金作りと運用が行われていた疑いがあることが複数の現職警官らの証言でわかった、というもの。
 同種類似の「事件」が次々と報じられる中で、それを目や耳で知るわれわれの方の感覚も鈍りそうだが、その悪弊を断つ必要は誰の目にも明かだ。
 だが、この種の報道でいつも不思議に思うことは、その種の「裏金」が必要とされる実態をどう変えていくかという視点の不足だ。警察活動に必要とされる捜査協力者への謝礼、情報提供者への支払い、飲食費など、必ずしもすべてが「必要経費」として公的に支給されるものばかりではないだろうし、職場の「潤滑油」としての茶菓や「慰労会」も必要かもしれない。それらすべての費用をきっぷのよいところを見せたがる上司の「ポケットマネー」に期待したり各個人に請求するというのでなく、何らかの「プール」を作ることはむしろ当たり前のことだろう。(実際、公務員と民間とを問わず、給与から固定した額の「懇親会費」などが毎月天引きされている例は多いだろう。) おそらく、本当に必要なことは、そのようなかなり細々とした、しかも公的に請求しにくい、経費の必要とされる実態をなくすることなのだろう。
 それにしても、今回の報道では、裏金としてプールされた金の使途は、飲食代のほか、「捜査車両が事故を起こした際の修理費など、予算では支出が認められていなかった緊急的な経費に充当されたケースもあった」とのこと。何をかいわんや、だ。
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-30 09:31

警察官という仕事

 朝方、通勤の途上で自転車に乗った男性から声をかけられ、昔のゼミ卒業生に再会。この間、さまざまな機会にもすれ違ってばかりで、彼の卒業以来のことだったが、16年たっても学生時代の風貌は基本的に保たれている──もちろん、その気になって見れば、ということだが。今は◎警本部に帰っているとのこと。
 そのときには公道の真ん中で、しかもお互い時間に追われていたので、久闊を叙して別れたのだが、夜になって彼からメールが届いた。
 最近、たまたま僕の教科書を書店の棚に見つけ、読んでいるところだと。 
 「ところで、学問として「犯罪」関係の本を読むのは久しぶりです。就職してからは、どうして も、現象面として、犯罪を見てきていますし、考え方も現象面を最初に捉えて考えてしまいます。今回、先生の本を読ませていただいて、凝り固まった頭を涼しくして、仕事にそして市民のために役立てられる何かをつかみたいと思います。とは言え、仕事柄思うことは、現在これだけ犯罪が増加している、あるいは抑止が効かないのは、コミュニティーの崩壊が最大の原因と思います。昔の近所付き合いを、『個人への干渉』とか『自由の侵害』としか考えられない、心狭き大人たちと、その大人から教育を受ける子供たち、では…… と、ややぼやき気味になりましたが、今後とも── 」
 わが国の警察制度に関連しては、もちろんさまざまな議論があり、批判されるべき現象も散見されることは事実だ。しかし、この蒸し暑い街中を汗まみれになって走り回っている個々の警察官をどうして尊敬せずにいられよう。彼らの使命感と奉仕の精神に期待するものは大きい。
 最近の当地の警察の動きで、それらとは違った新たな展開を予測させる2点に注目している。ひとつはWinny騒ぎで全国的にも有名になったハイテク犯罪捜査体制の充実振り、もう一つは「犯罪情勢分析室」の活動だ。それらをはじめとして、腰を落ち着けて、その意味と今後への影響について考えて見なければと思う犯罪学の課題は多い。 だが実際には、日々の「ロー・スクール教育」(刑法解釈論!)に追われていることに自責の念さえ覚える。困ったことだ。
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-26 12:31

「迫りくるカタストロフ」は本物か

 季節はずれの台風接近とあって、明日の授業がどうなるのか、気がかりな状態だが、学生諸君はもっと気になっているだろう──あわよくば休講かと。

 この機会に講義ノートとPPTファイルを整理していて、改めて気になった点。本当に正確に、彼らに現在の問題状況を伝ええただろうか。
 たとえばわが国の現在の犯罪情勢。「迫りくるカタストロフ」といった類の危機感をあおる説明をしなかっただろうか。
 あるいは、講義の最後にでも、事態を正確に見ることを強調しておくことが必要かもしれない。
 これに関わって重要な2点。

1)認知件数の跳ね上がりの理由:
 99年の桶川ストーカー事件および栃木リンチ事件における警察の対応への批判は凄まじく、警察庁は抜本的に対応を改善、その「結果」は全国の交番・駐在所などの窓口での「警察安全相談」件数の激増(09年の34万4千件が00年には74万5千件、01年93万件、02年105万7千件へと、この3年間で3倍にまでなっている)が潜在していた事件の発掘につながり、認知件数を押し上げた、という事実。

2)余罪調べの簡略化?
 この間、検挙人員はむしろ増えている(93年から02年まで10年間に、29万8千人から34万8千人へ)のに対し、検挙件数は72万4千件から59万2千件へと急降下しているが、このことの意味するところは明白──余罪調べが十分に行なわれていない! 
 それを証明するのが、重要窃盗犯についての同じ比較だ(93年から02年までに、検挙人員は27千から22千へと漸減に対し件数は224千から134千と惨めな減──住居侵入盗などの一人当たり件数は8.3から6.1へ)。
 余罪取調べと称して被疑者被告人の勾留の長期化あるいは代用監獄への収容を正当化する論調には警戒を要するが、そもそも、一人の住居侵入盗は概ね50~100件の余罪があるのが当たり前で、だからこそ彼らはそれで食っていけるのではなかったか。

 このあたり、より厳密な統計(そして警察活動の)分析が必要なことは明らかだ。
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-20 23:31

みなし月曜日

 世間は土曜日で、多くの企業も学校も休みとあって、公共交通機関も「土曜日ダイヤ」という間引き運転の朝なのに。 緊張もなく眠り呆けている家族をほったらかしにして、一人で朝ご飯を食べ、出勤。 ──今日はわが大学だけは月曜日なのだ。
 学生の出席状況はいまひとつだが、それでも普段の半分ぐらいの学生は出席している。手回しよく「ゼミは休講」と宣言しておいたので、ゼミの学生も教室には少なかったのではないかと思われるが。
 だいたい、不自然で無理があるのだ。
 しかし、時間割がカレンダーによって組まれ、それぞれの科目が週日のいずれに割り振られるかは偶然的なものだとするなら、各科目間での時間数の確保の平準化が問題になることは当然だ。そして、この馬鹿な「ハッピー・マンデー」法!休日が多く、しかも連休を確保するために月曜日を休日とすることが、どうして「ハッピー」なのだろうか。多くの国民が本当に喜んでいるとはとても信じられない。
 では、どうすればよいのだろうか。どんないかがわしい動機によるものであれ、いったん休日として立法化された日を普通の勤労日に戻すことは至難の業だということは、説明されずとも明らかだ。どうすればよいのだろうか。 
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-20 00:46

自治会の「町内大清掃」行事

 今日は梅雨の晴れ間の爽やかな日曜日だが、われわれの町内では一斉大清掃の日で、朝の9時から共有地の草取りや植え込みの剪定で1・2時間。もちろん、これは(やわらかな)義務で、各戸から1名は出てきている。雑談をしながら、短時間とはいえ共同作業に取り組み、そのあとは例によって I さん宅の庭で何人かがビール・パーティをやっている。
 この町内は20年前に住宅都市整備公団が開発し、一斉に入居した90戸ほどの団地で、周囲の高層住宅とは打って変わって2階建ての、数タイプの家屋から成っている。地形上の特徴もあって、かなりにまとまりやすい広さの町内となり、同時に入居した90家族ほどの多くがそのまま住み続けていることから、町内のまとまりもよい方だろう。
 ──つまり、これはかなり理想的な地域コミュニティであり、犯罪・非行に対する基本的な抑止力を持つ地域社会であるように思う。何家族かは年金生活の高齢者のみになり、適当な「うるさい爺さん・婆さん」としていろいろの出来事に口を出し、朝方から夕方まで、事実上町内の人の出入りを見張ってくれている。男どもは、普段は留守がちなのだが、適当に子供たちのレクレーションを組織し、一声かければ夜回りだってやる人には事欠かない。
 だが、おそらくは、この町内はその戸数の少なさのゆえにうまくいっているのだろう。これが5倍、10倍になったときに、同じような地域社会の諸機能がうまく働くという保障はない。おそらく難しいだろう。しかし、だからといって既存のコミュニティを人為的に再分割することも非現実的だ。どうするか。
 
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-13 17:12

投書・電話・メール

 以下の記事。どう評価すべきだろうか。

 「小学六年女児による同級生殺害事件が起きた長崎県佐世保市の市立大久保小学校や県教委、市教委に対し、中傷や批判の電話やメールが殺到していることが四日、分かった。同県内では昨年七月に長崎市で中一男子の男児誘拐殺人事件が発生しており、二つの事件を結びつけて「長崎は犯罪者を育てているのか」といった感情的な意見が多いという。関係者は「批判は受けとめるが、これまでの取り組みを全否定されているようでつらい」と困惑している。
 県や市教委によると、電話やメールは事件が発生した一日夕から始まり、二、三日にかけて急増した。ほとんどが匿名で一方的に話した後、電話を切るケースが目立つ。時間帯によっては担当職員全員が、殺到する電話の応対に追われ、ほかの仕事ができない状態だったという。」(西日本新聞/6月4日)

 11歳の少女による同級生の殺害というセンセーショナルな事件であり、それをめぐって多くの論議と検討(原因の究明、同種事件の予防を中心に)がなされるであろうことは当然だ。
 だが、それとは別にここで気がかりなのは、この種の事件が起きるたびに学校や両親に対し投げつけられる無意味でヒステリックな罵倒の言葉だ。匿名で、まるで暗がりから投じられるつぶてのように、送りつけられる手紙や電話、最近ではメール。憎むべき卑劣な行為と言わねばならない。ものによっては脅迫罪や侮辱・名誉毀損罪の適用を考えるべきなのではないか。
 そして何よりも問題なのは、そのような手っ取り早い感情的な行為ですべてが終始してしまい、本当に必要な、社会の広い範囲での落ち着いた検討が妨げられることだろう。
[PR]
by kriminalisto | 2004-06-05 10:28