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ロースクール・新司法試験

 このところ忙しくて、この blog のメンテも怠りがちだが── 何が忙しいのかと考えてみると、一つは週末の日程がここのところ連続して詰まっており、おかげで授業の準備が十分にできないということがある。一週間のルーティンは、やはり、授業中心に回っており、週末は次の週に向けての授業準備の貴重な時間なのだ。昨年までの法学部教員時代にはあまり考えなかったことなのだが。
 ロースクールの学生と話していて、彼らが異口同音に話すのは、今までの自分のどの時間よりも充実した勉強中心の生活を送っているという満足感と、そして「この調子で勉強していけば司法試験に合格するのだろうか」という不安感だ。一方でロースクールの教育は手探りで突っ走っており、他方で新司法試験の内容は明らかにされていない。こんな状況では、彼らの不安は当然だろう。

 本来、司法試験も研修所も廃止すべきだったのだ。

 各ロースクールの設置、その教育課程の構成と内容についての実質的で公正ななコントロールを条件として、ロースクールでの学習についての修了認定が同時に法曹資格の獲得となるような制度こそが、当然あるべきロースクール=法曹養成制度だ。それを、法務省や最高裁の権益や思惑やら何やらに文部省の無責任・無能さが加わった挙句の、なんとも言いようのない、不思議な「法科大学院」の乱立となり、「自己責任」でのロースクール選び、そしてロースクールには経営手腕の発揮と「閉鎖の自由」が認められるという、情けない結末となっている。
 それでも、希望をもって難関試験に合格し、貴重な数年間の時間と高い学費とを支払って、現に勉強している5千数百人の学生がおり、わがロースクールにも多くの優秀な学生が集まっている以上は、教師たるもの勝手な放言をしているわけにはいかない。せっせと教材作りに工夫を凝らし、教室では最大限の効果を心がけて教育に当たり、学生が求めれば補講にも、ネットを通じての質問にも力を尽くして応じている── むしろ、学生諸君が抜け道のない檻に落とされたと同様に、あるいはそれよりはるかに過酷な坩堝に、われわれも一緒に落とされたのかもしれない。
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by kriminalisto | 2004-05-29 13:25

ロシア・マフィア!

 火曜日のNHK『クローズアップ現代』は「ロシア・マフィア」がテーマ。
 釜山で殺されたロシア・マフィアの大物が、じつは過去に何度も北海道に渡航した記録を持っており、彼が北海道で何をしていたかが調査された、という経過から、ルポルタージュは始まる。
 このあたり、最近のアルカイダのメンバーといわれる人物の新潟潜伏の事実もそうだが、日本での出入国管理のありかたを考えさせるところだ。
 今回の「ロシア」は極東ロシアに限定されての報道だったが、沿海州のマフィアのボスとおぼしき人物が、中古自動車と薬物とのバーターを中心とする日本との関連を語っていた。かつてはカニだったものが、最近では薬物(MDMA)を支払い手段とすることが多い、北海道沖で海中にブイをつけて投下し、その位置をGPSコードで日本側の暴力団員に連絡、暴力団はチャーターした漁船でそれをなんなく回収するのだと。
 ありうるだろうな、と思う。
 最近のアメリカでの研究やウラジオストークの研究所のサイトなどで伝えられていたことの範囲を出ないが、映像をまじえるとなかなか迫力があった。

 この夏にはペテルブルグの研究者を訪ねて情報交換と考えているのだが、やはり、極東を加えるべきだろうか。しかし、ウラジオストークやナホトカは危険だし、ホテルの質も悪いから.....
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by kriminalisto | 2004-05-20 23:30

誤記載

 参った、まいった──
 どうすりゃいいんだか、本当に弱ったことになってしまった。
 機嫌よく出版した本の中に間違った記述をしてしまったことに気づかされたのだ、それも自分の先生の指摘で。
 もちろん言い訳はいくらも可能だ。あんなにも、こんなにも忙しかった上に、事実経過は混沌としていたのだから、不注意で見落としたことも.....  といくら言って見ても、言い訳は言い訳にすぎない。多くの読者は気づかないままに、間違った情報を含む本を買ってしまうだろう。
 改訂の際に訂正しなさい、と先生は優しく言ってくれたが、心の中ではあきれ返っているだろう。
 ああ、失敗したなあ。ここニ三日、息苦しさが夢の中にまで追いかけてくる。
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by kriminalisto | 2004-05-19 14:06

雨の降る日には

 晴れる日もあれば雨の日も、暑い日も寒い日も、ごく当たり前にあり、繰り返してわれわれの生活に振幅を与えるのだが、それらは犯罪に関係しないのだろうか。
 多くの犯罪要因は暑さによって増幅されるように思われる──アメリカの大都市での黒人暴動やわが国のドヤ街での衝突も暑い夏のことが多く、ラスコーリニコフの老婆殺しにしたところで、多くのペテルブルグ市民が郊外の避暑地に逃げ出した7月のむっとした悪臭の立ちこめる中でのことだった。
 雨の日には財産犯罪が少ないという説があるが、低く垂れ込めた雨雲の圧迫もあって気分の沈む雨の日は一時的にせよ多くの人を鬱状態へと追いやり、その影響の下で(拡大)自殺その他の退行行為がなされるのではないだろうか。
 もちろん、これらのことを否定し、自然現象としての天候がそのままに犯罪行動に反映するわけではなく、その間には多くの要素が介在し、両者の関係ははるかに複雑だ(要するに、わからない)、とするのが常識的な説明だろう。何よりも、暑さ寒さとか晴雨といった自然条件は多数の人々を同じく暑がらせたりふさぎこませるのであり、そのうちの特定の人々だけが問題行動に出るとしたとき、そのような行動の「要因」はむしろそれらの人々の個体的な条件にあるとすべきだろう。しかしそれでは生物学派になってしまう、というのであれば、次のようなことでどうか。つまり、暑さであったり雨であったりという条件は、劣悪な住宅環境その他社会的インフラの整わない貧困地域の住民に耐えがたい苦痛を及ぼし、失業者や独居者にとって雨は深刻な思い出を呼び出す、などといった。
 しかし、暑さ寒さや雨晴れが人々の「心」に直接に作用すること自体は認めざるをえないのではないだろうか。
 ヨーロッパ人はよく、今日は気圧が高いので頭が痛いとか、気分が優れないのは気圧が低いからだなどと、われわれには不可解なことを口にする(中央アジア出身の僕の知人もそう意って日本人の医者を絶句させたことがある)。だが、思えばこれは正しい感覚なのだろう──現にわれわれでも、血圧の上下によって体調や気分が変わることを知っているが、であれば、外気圧の変化がわれわれの健康や気分に影響しないはずがない。では、なぜわれわれはそのように感じないのだろうか。
 これは不思議な、「文化依存症候群」の一つであり、きちんとした研究が必要な現象のように思うのだが。
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by kriminalisto | 2004-05-16 16:10

日中刑事法学学術討論会

土曜日の今日は早朝に起き出して、9時よりかなり前に同志社大学に到着。
第9回の「日中刑事法学学術討論会」に出席するため。──西原先生が早稲田の総長の頃に始められたこの企画だが、今回は京都で始めて開催ということで。今日から月曜日まで、3日間も。
日本側は宮澤、大谷、鈴木、山口などなど、そうそうたる顔ぶれだが、中国側にも何人か面識のある名前が出ていて、案内をもらえば出席しないわけには行かない。

本当は、いろいろと忙しいのだが。

財産犯罪に関わるテーマで日中双方が一人ずつ報告者を立てて問題提起をし、それに関連した質疑応答という手順。成文堂が用意した「報告集」は完璧で、中国側報告もきちんと翻訳されて収録されている。となると、ますます議論にならない、のは困ったものだ。

さあ、明日はどうしよう。出るか、さぼるか。雨のようだし、家で仕事ということにしようか。いや、しかし── (と迷う。)
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by kriminalisto | 2004-05-08 21:57

「21世紀日本に死刑は必要か」

 この問題についてはあまり話したくないのだが.....
 事務室脇の控え室で弁当を使っている僕の目の前に、きれいなポスターが貼られている。
 日弁連のポスターだ。

    第47回人権擁護大会 シンポジウム第3分科会
        「21世紀日本に死刑は必要か」
 -死刑執行停止法の制定と死刑制度の未来をめぐって-

 しかし、この問題について、シンポジウムでいまさら何を議論しようというのだろうか。企画者の予定している結論は明確で、にもかかわらず白々しく「死刑は必要か」と問いかける必要があるだろうか。
  見ているうちにだんだん不愉快になってくる── いわば、気心の知れた仲間内でのイニシエーション類似の集まりではないか。それに向けて全国で連続のプレシンポを開催するとも知らせている。

 ことはやはり死刑制度の存廃論に関係するわけで、それをここで簡単に済ませてしまうわけには行かない。それなりに準備をして、きちんと説明し、議論を提起するのでなければ、中途半端な物言いは何の役にも立たない、と言うことはよくわかっているので、これ以上は書かない。
 日弁連にしてもアムネスティにしても、その活動には大きな意義があると思うし、実際の活動に果たしている役割には尊敬を惜しまない。「無辜の救済」と「良心の囚人の解放」の運動にどうして共感しないでいられようか。にもかかわらず、死刑問題への過剰なこだわりが、問題を拡散させ、本来得られたはずの多くの市民の支持を失わせているのではないか。
 やはり、近いうちに、この点についてはまとまった発言をしなくてはならないようだ。だがそれにしても.....
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by kriminalisto | 2004-05-07 23:42

自殺関与

 「大型連休」4日目は雨。
 格別どこに出かける予定も無いから、かえって落ち着いて仕事ができるというものだ。
 この連休を逃すと、あとは夏休みまで、まとまった休みなしで授業に追われることになるので、同僚各位もおそらくは同様に机に向かっての「連休」だろう。

 今朝の新聞で めずらしいニュース が目を引いた。34歳の「養子」を自殺させたということで35歳の男が自殺関与罪の容疑をかけられているというのだ。
 年齢の不自然さにはいろいろの事情がありそうだが、それにしても、34歳の男性(車に乗っているところを見れば、精神的にも健康そう)を「教唆し若しくは幇助して自殺させ」ることが可能なのだろうか。
 報道では、この男は継続的な暴行・脅迫によって被害者を完全に従属させていたとの事だが── この種の犯罪の場合、被害者はすでに死んでいるわけで、事実の解明と認定には困難が伴うはずで、この事件もどのような「事実」が明らかにされるのだろうか。
 和歌山の事件ということなので、和歌山市で開業しているOk弁護士にでも、いつか、その後の経過を尋ねてみようと思う。
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by kriminalisto | 2004-05-04 11:27

刑法にどう入門するか

 初めて法律学を勉強する人たちが戸惑い、音を上げそうになるのは、やはり民法の膨大な分量と基礎的な概念の頻発にのようだ。それに比べて、刑法については格段に取り付きやすいのではないか。
 これはおもしろい事実で、日常生活の基本にかかわる法的な諸問題、その意味では最もなじみの深いはずの法領域がかえって難しく、実際には身の周りにほとんど無い(そうであるべきだ)犯罪にかかわる法領域が、多くの初心者の興味関心を引き付け、積極的な勉強意欲を引き出すことがやさしいようなのだ。
 だが、それでも、やはり難しい局面はあちらこちらに隠されている。
 たとえば「因果関係」とか「構成要件」といった概念。
 自分自身の学生時代を思い返してみても、刑法総論の最初の授業で先生が、突然、「裸の行為論は必要か」と論じ始めたときは慌ててしまった。代表的な教科書にそんな論点についての説明は無かったし、先生、まじめな顔して昼間から何を言い出すことやら、と。── 何しろまだ19歳、幼かったのだ。
 しかし、そんな訳もわからぬ概念や論理にそれでも食いついていったのは、なぜだろう。
 それは、多分、今はよくわからないが、ここを過ぎればその先には何かすばらしく面白いものがあるに違いないという期待あるいは好奇心(あるいは幻覚)があったからだろう。何しろ、先生は楽しそうで、嬉々として講義をされ、それに惑わされているうちに受講生も何か世界の秘儀をひそかに教えられたような気分になって教室から出てくるのだったから。
 そのこともあって僕は思うのだが、最初から全て理解してでなければ次に進めない、というような勉強法は、少なくとも(刑)法学の場合は間違いだろう。たとえば因果関係論は殺人罪や傷害罪といった各論の問題を抜きにしては具体的に理解できないし、過失論における予見可能性の理論を考慮せずに因果関係の相当因果関係諸説の批判的な検討はできない。その意味で、(ここでは刑法だけをとりあげるが)理解はまさにらせん状の発展経過をたどる、というべきなのだろう。各論点を一巡して、再度ある論点に取り組むときは、前回には見えなかったその広がりや深さが見えるというような。
 その際、もちろん、各領域の論点を「ザーッと見る」のではない。それなりに一所懸命に考え、しかし、その結論が出なければ先には進めない、というような態度はとらないことが必要だと言っているのだ。
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by kriminalisto | 2004-05-01 01:07