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血液型

 先日、新しいゼミ生が集まった際に、ふと思いついて全員に血液型を訊いてみた。その結果:
   A型  5名
   O型  4名
   B型  6名
   AB型 3名
 これって、標準とはかなり違うのでは。
 確か、日本人の多数はA型で、Oがそれに次いだはず。──やはり、犯罪学を専攻するような学生は標準から外れた者が多いのだろうか。(念のため確認。ものの本にはやはり、日本人ではA型、O型、B型、AB型の順に多く、その割合はだいたい 4:3:2:1と書いてある。)
 ちなみに僕はA型。
 A型の特徴は物事をこまめ・几帳面に処理し、規則正しい生活を送るということだろうが、これはよくわかる。現に、わが家でA型は僕だけだが、洗濯物から食器から、ぶつぶつ言いながら片付けに回っているのは僕だけだ。
 この辺り、参考になるかもしれないページはhttp://www.abo-world.co.jp/index.html
 など。

 冗談は抜きにして、結局、「几帳面」をキーワードとするような日本人の性格が、戦後の復興から今日の安定までのわが国の社会のありようを支えてきたのではないかと思う。
 というようなことをまじめにぶって、「いつから生物学派になったの?」とO型の妻にからかわれた。
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by kriminalisto | 2004-04-26 17:44

教科書雑感

 昨日の続き。
 教科書を準備する課程で最後までためらいが残った2つのこと。

 ひとつは、これが大きいのだが、犯罪の原因と対策の広い分野にまたがる犯罪学の全体を個人が説明することが可能なのか、また、はたして正しい方法なのかという点。
 多分、簡単な解決法は精神医学や教育学の専門家、矯正の実務家などの集団的な著作として、犯罪学教科書を作るという方法だろう。だが、多くの場合講義の全体に責任を持つのは一人の教員であり、それぞれの受講生には犯罪学のこれら諸分野の全体についてのまとまった知識を持つことが期待される以上は、単独の著者による記述ということもありうるのではないか。
 事柄は、犯罪学という科学の成立可能性、犯罪学者というものの在りようにかかわる、かなり厄介なもののように思う。
 それにしても、学生時代に耳にし、今なお脳裏を去らない、「犯罪学はペダントの学問」という言葉は誰のものであったか。

 もう一つ。
 犯罪学の対象とする犯罪現象は刻々に変動し、それをとりまく問題状況もまた日々変容を続けている。そのときに、昔と同じような、紙ベースの教科書を準備することには、いささかの違和感がある。
 検討されるべきデータ類に本来の意味での生のものなどありえないことを別としても、できる限り新しいそれらを多角的に提供し、新しい理論枠組みを参照してもらうためには、将来の教科書はおそらく、ハイパーテキストの形でインターネット上に提供された、基本的な考え方の枠組みの提示と、必要な情報のリンクの集積・相互の関連付けの組み合わせになるのではなかろうか。
 もちろん、そのときにまだ現在のような形式の「講義」が残っているか自体、大いに疑問だが。
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by kriminalisto | 2004-04-23 10:02

教科書刊行

 出版社から、新刊なった教科書を送ってくる。しかも、同時に2冊も!
 新刊の1冊は単著の教科書。開講に間に合わなくて、正直、やきもきしていたのだが、何とか連休前に出てくれて、ほっとした。出版社がつけた帯の売り文句の派手で、面映いことだ。
 もう一方の刑法入門書は友人たちと一緒に書いたものの第2版の第1刷──この初版は首をかしげるぐらいによく売れたが、今度はどうだろう。

 これで何度目かになるが、著書が出版されるときの格別な気分というのは、おそらくなかなか解ってもらえないだろう。20~30%位の高揚した気持ちと、70~80%の不安と。ひょっとしたら、自分の子供を出産した女性の気分もこれに似たものなのだろうか。
 
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by kriminalisto | 2004-04-22 23:25

歩き方も顔つきも

 人が手を振って歩くときには、普通、右足を前に出すときには左手を振り出し、左手を後ろへやりながら左足を前に出し始める。歩くときはあまり手を振らない人も、ランニングの時には手を足とは逆の方向に振りながら走ることだろう。
 だが、これまた時代の、したがってその社会の文化状況の、産物なのだ。その証拠に、たとえば江戸時代の武士の歩き方は、右足を出すときに同時に右手右肩を前に出し、まさに「肩で風を切って」歩いた(日本法制史のOh先生の話では異説もあるそうだが)。現代人のような歩き方は、むしろ、「丁稚歩き」と軽蔑されたそれだとのこと。
 要するに、ごくありふれた動作でさえ、時代と社会に規定されているということで、それを示すための好例としてこの「なんば歩き」に関心を持っている。
 もう一つは、人の顔つき。古いニュース映像などを見ていて思うのは、日本人の顔つきは変わったということだ。幕末の志士までさかのぼらずとも、戦前の日本人の顔つきは一様に険しい。カメラを意識してない場合でも、それは他の人々と世界に向き合い、それに抵抗している人間の顔だと感じる。昨今の街頭風景によく見られる、何の緊張もない、緩んだ顔つきとは明らかに違っている、と。
 顔つきも、時代とともに変化したのだ。(そういえば、「葉隠」の中に、忠義のために自分の顔を変えるという下りがあった。まったく別の話だが。)

 ────テレビのニュース報道の間に表示された、同年代の男性の子供時代の写真からの連想。 小さな大人のようなその姿が、それとそっくりな当時のガキ大将どものことを思い出させ、そういえば、最近はあんな子供の顔つきは見なくなった、と。
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by kriminalisto | 2004-04-21 14:22

アナスタシヤ・カメンスカヤ

 先週の金曜日から、通勤時のささやかな楽しみはアナスタシヤ・シリーズの第7作(邦訳としては第6作)『死とほんの少しの愛』 (光文社文庫)
 アレクサンドラ・マリーニナの1997年の作品で、それ以降もこのシリーズは書きなぐられており、なんと最近第25作が出版されたとのこと。ロシアでは人気のテレビドラマ・シリーズにもなっているのだそうだ。
 モスクワ内務総局犯罪捜査局の捜査官で、心理分析や推理に天才的なひらめきを見せるアナスタシヤが、ごくありきたりの生活の些事に追いまくられたり、34歳にしてやっと15年来の恋人の数学者アレクセイと結婚したりしながら、姿の見えない殺人者を追い詰める── という物語の筋はありきたりかもしれないが、そのところどころに思いがけず現れるモスクワの市街の風景や市民の生活の姿が、何となく気がかりで。

 同僚のUn先生のさげすみの眼(小説はゆったりと時間が取れた一日、一気に読むものなのだそうだ)にもかかわらず、通勤途中のバスと電車の中でしか読まないという、僕の読書法にもそれなりのメリットがあると思うのだが。

 ちなみに、主人公の姓はロシア語では"石の"という意味で、したがって彼女の名前は"石のようなアナスタシヤ"ということになるのだが、このあたりの感覚がロシア人にとっては実際にはどうなのか、よくわからない。
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by kriminalisto | 2004-04-19 23:57

「滝川事件以後」

M先生から論文の抜き刷り「滝川事件以後──京都大学法学部再建問題──」をいただいた。
 世間の耳目を集めた滝川事件以後の京大法学部をめぐるさまざまの動きを検討された論文で、京大の文書館研究紀要に発表されたものだ。
 あらためて、多くのことを教えていただいたが、多少の違和感を覚えたのは、一つは瀧川先生と佐伯先生の関係についての記述、もうひとつは瀧川先生の「応報主義」うんぬんのくだり。
 戦後、あたかも凱旋将軍として京大に帰った瀧川先生は、数々の問題のある人事その他の行動をされたが、その一つが佐伯先生を「公職追放」に処したことだ。
 M先生の論文では、佐伯先生が宮本先生と瀧川先生の両者の間で学説上および人間関係上微妙な立場にあり、それが佐伯先生の京大復帰という行動と相まって瀧川先生には「忘恩的」と映ったのではないかと推測している。が、刑法学者の学説上の立場についての批判や反発がその当人への非難に直結するということは、とりわけ京大法学部の伝統とは齟齬するものであり、瀧川先生にもそのような発想はなかったのではないか。では、なぜ──ということについて、僕などの推断している理由は、やはり、瀧川先生の佐伯先生に対する嫉妬のようなものが大きかったのではないかというものだ。
 瀧川先生の刑法上の立場はドイツのマイヤーの刑法理論を基礎に、犯罪論における客観主義、刑罰論における応報刑論、そして全体としての個人主義・自由主義的発想(とりわけ罪刑法定主義論の重視)にあった。この立場から、瀧川先生は牧野英一の主観主義犯罪論、小野清一郎の国家主義的な応報刑論との華々しい論争を通じて、わが国の刑法学の一方の雄と目され、またその影響力は今日に及ぶものがある。が、先生の業績を丁寧に見ると、やはり、先生はきわめて優れた解説者であり、そこに独創的なものは少ないということに気づかざるをえない。(余談ながら、瀧川先生の博士論文は1947年に改訂版として再刊された『犯罪論序説』(1938年)だったはず──これ自体、きわめて平板な刑法総論の教科書にすぎない。)
 紛れもないドグマティカーであり、独創的な佐伯先生とは決定的に異なる。そして、慧眼な瀧川先生ご自身もそのことをよく知っておられ、そのことが佐伯追放の最大の理由だったのではないか、ということだ。
 また、論文では瀧川先生の過剰な報復人事や学生処分に関わって、先生の「応報主義」の適用だという記述が見られるが、瀧川先生の「応報主義」は、刑罰論としての応報刑論を意味するもので、それは刑罰の予防効果・教育効果を強調する「目的刑論」への批判として論じられるものだ。刑法学者であればごくありふれた、ニュートラルな立場・用語であり、かなり広範囲の刑法学者が自分を応報刑論者であると答えるのではないか。
 瀧川先生はすでに亡くなられているが、佐伯先生はなおお元気であり、それだけにかえってこの辺りのことは歴史研究の対象になりにくいのだろうが──
 
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by kriminalisto | 2004-04-18 00:43

ワイヤレス・プレゼンター

 Power Point を使って講義をする際に、スライドの送りのためにパソコンにへばりつく必要がない"すぐれもの"として、Ib先生の推奨の品は次のとおり。

http://www.logicool.co.jp/products/presenter/bm_1000.html

 これはすごい。
 しかし問題は、マウスとして機能させるためには何らかの平面が必要だということ。また、ポインターとしてレーザー・ビームを射出することができるといっても、多数のディスプレイを使用しているときには意味がない。そして、値段もかなりのものだ。
 これに刺激されて、同様のものがどのくらいあるかを調べてみると、「なんだ、かなりあるじゃないか」。と思って、適当そうなものをネットショッピング。
 だが、これがうまくいかない。多くのサイトは軒並み「在庫切れ」で「入荷時期未定」になっている。アメリカの大手通販会社のサイトなどを見ると、ずいぶん安く売られているが、これは"within in US only"の制約がかかっている。

 少々、頭が熱くなっているのはわかっているのだが、いましばらく探してみるつもり。

 それにしても、なぜ日本のメーカーは作らないのだろうか(見たところ、コクヨだけが製品を出していたが)。
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by kriminalisto | 2004-04-17 00:20

イラク人質事件

 まず最初に、日本政府の自衛隊派遣には反対、今からでも遅くならないうちに自衛隊の撤収をはかるべきだと考える── その理由は山のようにある。日本国憲法の平和主義、これまで自衛隊の存在目的とされてきた内容との齟齬、現地の情報の少なさ、経験不足、状況判断の危うさ、等々。それだけの財政支出が可能なら、それを日本のNGOやボランティア団体の公募プロジェクトに配分した方が、絶対に、有効活用できるはずだ。

 しかし、それと、人質を取ってのテロリストの要求に応じることとは別の話だと思う。
 もちろん、彼らをテロリストだと決め付けるのは間違いだという意見もあり、それはそれで大事な論点だとは思うが。(念のために言っておけば、僕としては、それでも結局は彼らはテロリストであり、かれらの行為は犯罪だと言わざるをえないと考えている)。
 アメリカと戦うイラクの原理主義者たちは愛国者・勇士であり、アメリカ人民間人の殺害や誘拐は「やりすぎ」だが、日本人人質を捕らえた彼らは「テロリスト・犯罪者」そのもの、というような、無責任で能天気な"評論家"的なコメントに加わるつもりもないが、それでも、誘拐犯のグループとの妥協はありえないと確信する。
 人命は大切であり、家族の悲痛な訴えに心を突き動かされることも事実であり、自衛隊の派遣にそれを超えるだけの価値があるか、といわれれば、その返答は難しい。
 だが、他のことは知らず、これは「テロとの戦い」であり、わが国がいやおうなく引き出されたこの世界の修羅場では、一人だけが背を向けて逃げ出すことはできない。単に「臆病者」とののしられるだけでなく、自己の責任を放棄して、戦い全体を敗北へと導きかねない行為として、それは許されない、のだ。

 事件開始からもうすぐ一週間。被害者3名(さらに2名が誘拐されたとの報もあるが)の現状が心配だ。
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by kriminalisto | 2004-04-15 15:44

さて、どうなることやら

 いろいろと考えたあげくに、結局はIb君の勧めでここにたどり着いた次第。流行のblogなるものを試してみよう、と。
 ここのTitleをどうするかも、本来ならゆっくり想を練るところだろうが、えい、面倒くさい、とお手軽に「 Criminolog の中途半端な日常 」ということに。そのうち変更するかも。

 今年度から法科大学院の所属となり、先週は一斉に開講で、小生も木曜日には未修者クラスを対象に刑法の講義。講義中の反応もよいし、講義後にはいろいろと質問があって、受講生のモラールの高さをあらためて感じた。その勢いで、翌日は既修者を対象とする展開科目で犯罪学関連の講義──のはずだった。それなりに準備はして臨んだのだが、結果としては受講生なし。これであえなく今期は閉講という憂き目に。
 軒並み「受講者ゼロ」科目が出ている模様。2年間しかない、という切迫感が必修科目以外に目を向ける余裕を奪っているのだろうが、これでいいはずはない。だが── 行き着く結論はいつも同じ:「新司法試験」が悪い、ということに。

 一方、月曜日は学部での大講義とゼミ。こちらは熱気むんむんといった雰囲気(京都で今年初めての"夏日")で、調子よくスタート。
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by kriminalisto | 2004-04-14 09:21