この厄介な「引っかかり」を

黄砂が吹き寄せ,花粉が舞い,街の空気は心持ちよどんでいるが,それでも確実に「間もなく春だ」ということが感じられるようになった。
もうとっくに出ているはずの本が一向に姿を見せないのが気にかかるが,そんなことは大したことではない。そのうちに出るだろう。問題は,多くの同僚が生産的な作業をつめているだろうこの春の休暇にもかかわらず,僕にはまったくその時間がないということだ。
その中で,明後日からは中国で一週間。日中青少年友好年ということで両国の青少年1,000人づつの相互訪問が実施されるのに際して,大学に中国政府から学生の招待があり,100名の学生をともなっての訪中となった次第。しかし,正直に言って,心は弾まない。──この間の「冷凍餃子」事件を巡っても表面化したように,彼我の間には「宿命的」なとさえ言える相互の依存関係があり,またそれだけに,深刻かつ微妙な政治問題と市民の意識における屈折がある。突然にそれに直面して,学生たちはどう反応するだろうかと思う。いや,それが問題だというわけではないことはわかっている。問題は僕自身の中にあるのだ。だが,それを説明することは簡単ではない....
別段,思わせぶりなことを言うつもりはないのだが,僕の頭の中で,高校時代に読んだ毛沢東の『矛盾論』のテキストのいくつかや,中ソ論争を伝える新聞の紙面の映像,文化大革命期のニュース画面,赤い『毛沢東語録』の小冊,横たわる毛沢東の遺体の写真,「四人組」裁判の報道,そして突然に始まった鄧小平の下での「改革開放」という名の市場経済化── このころからは,現在の中国の姿に重なり合ってくるが,この間の過程の振幅の激しさから見たとき,その評価について(あるいは感情的に)整理がつかないのだ。過去2・3回の北京や天津など都市部の訪問でも,その折のまた日本での中国人研究者や政治家との面談から得た印象でも,結局は拭いがたい違和感が残ったままなのだ。この厄介な「引っかかり」をどうしたものだろう。
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by kriminalisto | 2008-03-09 00:33 | 日記・コラム・つぶやき
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