「べトンの要塞」

学会とあって,久しぶりに中央大学多摩キャンパスへ。ますます建物も増え,要塞は拡張の一途をたどっている。立川駅からのモノレールが繋がり(2000年のことらしい),格段に便利になったが,そのためにますます非現実的な空間になったような気がする──モノレールの駅に降り立つと,周辺に民家の一軒も喫茶店の看板も見ることなく,そのまま直接にキャンパスに入ると,この日はたまたま「ホームカミングデー」ということで,白く輝く無機質な建造物群の間に,多くの卒業生らしい年配者が集っていた。ここが彼らの「ホーム」だというのは,何かの冗談のような気がしたが。
もちろん,勉強するのには最上の環境だ,ということなのだろうが,30年近く前に初めてキャンパスを訪れた時の印象が薄れない。
学会のほうは,まあ,研究報告もシンポジウムも,それなりに興味のある内容で,勉強にはなった。
そして,何人かの知己にかけられたのは予想通りの言葉──新司法試験の結果に関わっての「大変だったね」だった。彼らがどんな気持ちでそのように言っているのかは,あえて,斟酌しないことに決めてはいても,当方の身に応えることに変わりはない。
この間にいろいろの「反省」と「検討」があり,「見直し」や「改善」,「強化」の作業が進められたが,僕個人にとっては何ごとも救いにならない。何よりも,指導した学生たちの中の不合格者たちの顔が思い浮かぶのだ;その誰一人として,恨みがましい非難を口にしないだけ,なおさらに僕自身の自責の気持ちは強まる。もっと厳しく,もっと的確な,指導を重ねるべきだったのだ。お互いに未経験とはいえ,少なくとも教師として,全国的な状況と彼らの力量とをより客観的に見ることができたはずだし,できなかったというのであれば,それをするための方途を尽くすべきだったのだ。この露呈された力量の不足をどう埋め合わせればよいのだろうか── 
法科大学院の制度としても,未修者第一期生が出揃う来年の試験が,おそらく,最後の検証の開始を告げることになるだろう。いかにその時に臨むか,いずこの大学も悩みは深いはずだ。
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by kriminalisto | 2006-10-23 19:57 | 日記・コラム・つぶやき
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