同窓会 雑感

格別の思いいれも無くて,長い間出席しなかった郷里の高校の同窓会だが。今回出席したのは,卒業後40年という区切りにあたると言われて,「ということは,この機会に会わなければもう一生会えないかもしれない」と思ったことが大きいだろう。電話で誘った友人のYのように,「別段会いたい人間が居るわけでもないし」,と尻込みする気分はどこかに残っていたのだが。
団塊の世代のわれわれの学年は600人ほどもいたはずだが,出席者は100人ほど。多くの懐かしい顔に出合った──というのは,むしろ,各人が胸に着けたカードにプリントされた卒業写真の顔の方で,生身の身体に着いた顔はとうてい見分けがつかない。それでも,3年間の在学中に同じクラスになったことのある何人かは,昔のままの雰囲気をたたえていて,断片的な思い出話など。

それにしても(と思ったことだった),一別以来われわれの世代がたどった歴史はそれなりに振幅の大きいもので,大学では学園紛争,卒業後は石油ショック,アフガン戦争,地価バブル,平成大不況,社会主義圏の崩壊,テロ戦争,と振り回される中で,多くの者が個人生活の上でもさまざまに成功と失意とを味わってきたに相違ない。出席しなかった者の中には,あるいは,気分的にも経済的にも,出席するゆとりのない友人たちがいたことだろう。だが,はっきりしているのは,われわれの今の経済的な富裕であれ窮迫であれ,あるいは社会的な地位もまた,多少の天分や努力の寄与はあったにせよ,その大部分は偶然的なものの作用の結果なのであり,そしてさらに,たとえば40年後には,ほとんどすべての者にとって,何の意味もないものに返っていることだろう。
それでも。数えた人によれば,われわれ600人の同窓生の内では110人余が医者になっているそうだ。とても尋常な比率とは思われないが,ニ次会の席で赤ら顔でカラオケに向かい,ゴルフの腕を自慢するだけのそれら面々を見ていると,日々この手の「成功者」の顔を見ながら暮らしていくことはさぞかし不愉快だろうと,この地に住んでいない幸せを思わずにはいられなかった。
もう一つ発見,というよりは再確認したのは,人間の基本的な性格,人柄は簡単には変わらないということだ。40年経っても,にきび面のあの頃とまったく変わらずに横柄で,開口一番,予想したとおりに人を不愉快にせずにはおかない男がいる一方で,冗談の一つも言わずに相手を愉快な気分にさせ,打ち解けさせる者も,破天荒,支離滅裂な話をがなり立てているうちに,不思議と相手を説得してしまっている者もいる。当方の顔を覗き込みながら,真剣に話し込んでいたはずなの相手が,ふぃと居なくなってしまって,ああ,40年前もこんなことがあった,と思い出したりもした。
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by kriminalisto | 2006-08-15 14:53 | 日記・コラム・つぶやき
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