Eのこと

  Eが死んだ,と聞いても,さしあたって思いつくのは,どうでもよい問いかけだけ。以前から悪かった腎臓の疾患でか?あるいは,事故でか? このニュースを伝えてくれたK君にしたところで,そんなことはわかりはしない──最近に東京に現れた極東大学のM某が伝えた情報だという。
  不思議な感覚だ。別段,惜しいとは思わない,とくに学問的な分野では。むしろ,今日まで彼のような「学者」が存在しえたことの方が不思議というべきだろう。しかし,これで確実に一つの時代が終わったという感覚はある,個人的にも。
  ソビエト時代の「**研究所研究員」には,明らかに,3種類の人間が居た。学術の分野できちんとした業績を上げている,紛れもない研究者である「本物」と,学問的貢献は皆無あるいは極小でありつつ,他の何らかの理由によって研究所所員の肩書きを与えられている人々,そして,そのいずれでもない,何の理由でこの研究所におり,研究員として給与を受け取っているのか,まったく理解不能な人たち。E.は決して無能だというのではないし,時折,彼の署名入りの論文を目にすることもあった。だが,彼の周囲に漂っている何かが,彼は上の第2のカテゴリーに属していると示していた。
  最初に会ったのは81年の5月,当時僕が家族とともに滞在していたグープキナ通りのアパートに現れて,当時日本で刊行されていた『マルクス主義法学講座』の合評会を開きたいので,出席してくれとのことだった。趣旨もよくわからないままに,指定されたK君の部屋(同時期にアカデミー・ホテルに滞在中)に行くと,われわれの他には2・3名の日本研究者が来ており,その中にはパノフ(後の駐日大使)も居たように記憶する。かのラトゥイシェフの学び子たちの懇話会といった雰囲気だった。
  Eは当時,アカデミーの極東研究所に所属していて(そのように言っていた),ロシア人としては数少ない日本法の「研究者」だった。久しぶりにモスクワに,K君とか僕とか,若い日本人法学研究者が留学することになって,自分が一肌脱がねばと思ったのだろう,色々と気を使ってくれた。少し前に,初恋の相手だったエレーナさんと再婚した(夫を喪った彼女にめぐりあった彼は妻と別れて,彼女に求婚したのだと聞いた)とかで,幸せそうだった。
  彼については,むしろ帰国後に,それまで知らなかったさまざまの事実を,噂とともに聞くことになる。極東の国境警備隊での勤務から出発して,いくつかの秘密工作にかかわり,当時はKGBの大佐だったというのだ。軍服姿のEを見たという先生もいた。

  彼とは91年に,再度のモスクワ暮らしの中で,そしてソビエト時代の最後の現場で,再会する── 
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by kriminalisto | 2005-12-11 00:57 | 日記・コラム・つぶやき
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