成績評価ということ

夏休みを控えて,現在は定期試験の季節とあって,ゼミの掲示板にも試験がらみの情報が多く登場する。
その中に,目を引くものがあった:
  家族法の**先生はおっしゃいました。
  「ゼミの授業を落とすようなやつは死んでしまえばいいと思います」
これを書き込んだ学生は素直に,だからせめて所属ゼミの先生の担当している科目では頑張って高い評価を獲得しようと呼びかけているのだが(なんてけなげな!),こちらの連想は別の方向へ行く。これって,逆ではないのか,と。むしろ:
  ###ゼミの*****君は言いました。
 「ゼミの学生を落とすようなやつは死んでしまえばいいと思います」
ではないのか。

先日,いくつかの法科大学院で自己評価の報告が公表されていた中に,ある科目で「受講者=受験者80数名,試験合格者 0名」というのを見たときにも感じたが,以前,何人かの同僚も,数百名が受験した定期試験で70数パーセントが不合格だった,とむしろ誇らしげだったことに,強い違和感をおぼえたことだった。この人たちにとって,教育というのはいったい何なのだろうか。いかに自分の講義が高水準であり,満足な答案を書くことができる学生などほとんどいないのだ,ということを確認するため(だけ)に教壇に立っているのだろうか。
理解に苦しむ,と言うほかない。
自分の担当する科目を受講する多くの学生に,そのすべてに,何一つ教えられなかったということではないか。むしろ恥じ入って深刻に考え込み,教育の内容について,方法について,そして評価のあり方について,改善の方途を探るべきなのだ。

まして,自分の指導するゼミに属し,自分の専門とする分野に興味と関心を持つ学生ではないか。その学生たちに,一般の学生たちにも増して十分な知識を与え,問題意識を発展させ,意欲的な課題を与えないでおいて,ただ「試験結果は不合格」だった──などということがどうして平静にできるのだろうか。再度,理解に苦しむ,と言うほかない。
理解できない僕の方が間違っているのだろうか。
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by kriminalisto | 2005-07-28 21:52 | 日記・コラム・つぶやき
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