ガロア──神々の愛でし人

 今朝の毎日新聞「余録」欄を読んで驚いた。ここ。東京の中学生ら6人が一定のルールを決めて殴り合いをしたことが決闘罪にあたるとして検挙されたというニュースに関連して,「決闘罪ニ関スル件」について触れたコラムだ。
 驚いたのはわが国での決闘罪の運用についてのくだりではない。決闘罪が実務に時おり登場することは,"業界"では常識だし,過去の判例集を検索してみても相当数がヒットする。
 そうではなくて,このコラムで僕の驚いたのは,有名なガロアの決闘事件が,「最近の伝記では、何とその死をきっかけに共和派が暴動を起こすため、ガロア自らが提案した偽装決闘との説が唱えられた」という部分だ。まさに,「にわかに信じがたい」というほかないが,彌永昌吉著『ガロアの時代・ガロアの数学』(シュプリンガー・フェアラーク東京)を読むべきなのだろう。
 僕の手もとにあるのはL.インフルト著『ガロアの生涯』(日本評論社1969年)だが,取り出して奥付を見ると,「1972年3月3日読了 Yk.のことを想う」という僕の書き込みがある。一瞬,当時の百万遍の下宿の自分の部屋に戻ったような錯覚が襲う── この本は当時の学生たち(の,もちろん,一部)にとっては一種のバイブルだったものだ。20歳で決闘に倒れた不世出の数学者,熱狂的な共和主義者。読み終えての僕の感想はさまざまにあったに違いない。上の書き込みは,遠く離れて,当時の僕と同じように,たしかなものを求めてあがいているに違いない,尊敬する,数学の才能に溢れた,しかしさまざまに悲運な友人のことを想ってのものだ。だが同時に,おそらくは,自分自身を待ち受けているであろう,大きな黒いもののことを想い,それに身構えていたのだろう。
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by kriminalisto | 2005-03-06 00:37 | 日記・コラム・つぶやき
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