梅之助さんを囲む会

いつまでも続きそうな会議を予め宣言しておいた時間通りに打ち切って,急ぎタクシーに飛び乗って河原町三条の京都ロイヤルホテルへ。梅之助(舞台を降りた彼と同席すると,自然と「中村梅之助氏」と呼びたくなるのだが)が上洛した機会にと,で彼を囲む会が開かれたのだ。会場には既に大御所の両先生始め,歴々が着いておられて梅之助と談笑しておられた。恐縮しつつ挨拶。今回は,梅雀のファンクラブも合流したとかで,なかなかの盛況だった。
梅之助の挨拶の中で印象的だったのは,「間もなく80周年を迎える前進座の歴史と共に歩いてこられて,苦しかったときのエピソードをいくつか」,という質問に答えて彼の話したことだ。「前進座の古株の誰に聞いても同じように答えるでしょうね,今が一番苦しいです,と。過去にいくつも危機はあったけれど,何とかそれを乗り越えてきた今から見れば,それは大したことではなかった,現にそれを切り抜けてここまで来たのだから。だが,面前のこの危機こそは,ひょっとしたらわれわれを押し潰すかもしれない本物の危機なのだ,と。」
現在の座の状況を念頭に話された言葉なのだろうが,考えさせられる言葉だ。
 
まだ21時を少し回っただけだというのに,河原町の通行人は少なく,扉を開けた客待ちのタクシーばかりが目立った中を,四条まで歩き,電車で帰宅。明日に向けて考えておかなくてはならないことのリストは長い。
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# by kriminalisto | 2008-10-10 00:20 | 日記・コラム・つぶやき

秋葉原での惨劇

日曜日の秋葉原,歩行者天国での殺傷事件。この日は横浜に出張中で,事件のことはまったく知らず,夜遅くに京都駅から乗ったタクシーの運転手から聞いた報道内容に,心底驚いた。──池田小学校事件から7年目の記念日ではないか。

もう一つ。じつは,この種の事件が起きるたびに僕がひそかに恐れているのは,新聞やテレビの記者からの「何かコメントをお願いしたい」との電話だ。
一体何を,話せるというのだろうか。個人の具体的な犯罪行為の「原因」など,絶対に分かるはずがない。彼(あるいは彼女)の犯行直前までの,経験したことのすべてが何らかの影響を彼に及ぼし,また犯罪行為を取り巻いていた環境条件のすべてが,彼の行為の「原因」だったとしか言いようがないではないか。

例によって,勇敢なF先生が『日経』紙に談話を寄せている── 容疑者がトラックで人をはねてからナイフで刺した事件の展開を「暴力団同士の抗争でよく見られる手法だ」と指摘,「より大量に人を殺すために何が効果的か学習しているように思える。社会に不満をためた人が起こす最近の『不満爆発型』の犯罪は発作的でなく計画的なので,模倣されエスカレートしやすい」と話している。また,日曜日や人込みを狙った点については,「普段注目を浴びない人は逆に自己顕示欲が強く、注目されたい意識の表れ」と分析して見せている。(日経・2008年6月8日)
しかし,この談話の中に,何かの科学的な根拠に裏付けられた説明を見出すことができるだろうか。あるいは,何らかの有用な犯罪対策の提言が含まれているだろうか。そこにあるのは,せいぜいのところ,気の利いた,しかし無責任な,評論でしかないのではないだろうか。
だが,知られるとおり,評論家と学者は別物だったはずなのだが。
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# by kriminalisto | 2008-06-11 00:36 | 日記・コラム・つぶやき

春が来た,というのをいつ実感するかは,実際の居住地域の別はあっても,それぞれの民族に固有の共通感覚があるに違いない。一種の「文化基準」のような。そして,日本人のわれわれのそれは,やはり,桜の開花と深く結びついているのではないだろうか── 昨日の夕方,川端通りを会合の場所に急ぐ車の窓から見た白川の桜はもう八分の開花だった。
インターネット・ブラウザのホームページの片隅に配置したガジェット上で流れている,モスクワ大学の塔からのWebCamera映像でも,この1週間でもう雪も消えてしまった。
http://158.250.33.102/axis-cgi/mjpg/video.cgi?camer
なんだか朝から,笑い声の絶えない研究室職員の娘さんたちに声をかけてみた:「どうしてそんなに上機嫌なんですか?」 「だって,春なんですもの!」──彼女たちが声をそろえて,いかにも楽しげに答えてくれたあの日の,モスクワの研究所での情景が脳裏に去来することだ。
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# by kriminalisto | 2008-03-30 22:31 | 日記・コラム・つぶやき

この厄介な「引っかかり」を

黄砂が吹き寄せ,花粉が舞い,街の空気は心持ちよどんでいるが,それでも確実に「間もなく春だ」ということが感じられるようになった。
もうとっくに出ているはずの本が一向に姿を見せないのが気にかかるが,そんなことは大したことではない。そのうちに出るだろう。問題は,多くの同僚が生産的な作業をつめているだろうこの春の休暇にもかかわらず,僕にはまったくその時間がないということだ。
その中で,明後日からは中国で一週間。日中青少年友好年ということで両国の青少年1,000人づつの相互訪問が実施されるのに際して,大学に中国政府から学生の招待があり,100名の学生をともなっての訪中となった次第。しかし,正直に言って,心は弾まない。──この間の「冷凍餃子」事件を巡っても表面化したように,彼我の間には「宿命的」なとさえ言える相互の依存関係があり,またそれだけに,深刻かつ微妙な政治問題と市民の意識における屈折がある。突然にそれに直面して,学生たちはどう反応するだろうかと思う。いや,それが問題だというわけではないことはわかっている。問題は僕自身の中にあるのだ。だが,それを説明することは簡単ではない....
別段,思わせぶりなことを言うつもりはないのだが,僕の頭の中で,高校時代に読んだ毛沢東の『矛盾論』のテキストのいくつかや,中ソ論争を伝える新聞の紙面の映像,文化大革命期のニュース画面,赤い『毛沢東語録』の小冊,横たわる毛沢東の遺体の写真,「四人組」裁判の報道,そして突然に始まった鄧小平の下での「改革開放」という名の市場経済化── このころからは,現在の中国の姿に重なり合ってくるが,この間の過程の振幅の激しさから見たとき,その評価について(あるいは感情的に)整理がつかないのだ。過去2・3回の北京や天津など都市部の訪問でも,その折のまた日本での中国人研究者や政治家との面談から得た印象でも,結局は拭いがたい違和感が残ったままなのだ。この厄介な「引っかかり」をどうしたものだろう。
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# by kriminalisto | 2008-03-09 00:33 | 日記・コラム・つぶやき

南座で「三人吉三巴白浪」

もうとっくに正月気分は抜けているが,それでもこのところ恒例の前進座新春公演。今年の演目は河竹黙阿弥の「三人吉三巴白浪」。大川端の場での國太郎演じるお嬢吉三の「月もおぼろに白魚の」に始まる名科白だけでも,木戸銭の価値はありそうだ。黙阿弥の世話物らしく,入り組んだ因果因縁の物語だが,その発端が伝吉の刀剣の盗み出しと襲ってきた野犬の殺害だったと考えると,何とも暗い話だ──知らぬ間に近親相姦のタブーを犯し,実の兄・和尚吉三に殺され首にされる十三郎とおとせ,救いがない。が,舞台としてはきわめて美しく,とくに大詰めの「本郷火の見櫓」の場では,降り止むことのない雪の中で赤地衣裳のお嬢,黒地衣裳に浅黄襦袢のお坊,表地黒で裏が紫という捕手たちの格好も決まって,大立ち回りの中で幕が閉じられた。
舞台が跳ねた後の懇親会には,わざわざ梅之助が上洛して出席となったのも,昨年秋の梅雀の退座やら何やらについて説明せねば,との気遣いからだろう。だが,そのあたりの事情は大よその見当がついていることで,誰も気にしていない。それでも,来てくれたことは嬉しく,この機会に先日の朝日舞台芸術賞の受賞をお祝いした。 何時会っても,この人は,巧みな話術と細やかな気配り,役者としてだけでなく人間としても「格」のようなものを感じさせられる。
聞きそびれたのは,つまらぬことなのだが,おとせが拾い,お嬢が奪い,和尚がせしめ..... と転々とする百両の「かさ」のことだ。あれではせいぜい切り餅一つ,二五両程にしか見えないのだが。
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# by kriminalisto | 2008-01-14 12:20 | 日記・コラム・つぶやき

いくじなしの一人として

伊東 改めてお伺いしたいのですが,今の法学者はなぜ死刑廃止論に行かないのですか。
団藤 これには憤慨しているんですよ。いくじなしばっかりで,みんな根本問題を考えようとしない。ごくごく表面的な解釈論ばかりで。解釈論もなきゃならないけどね,腹の底から出る解釈でなきゃならない。アタマの中の解釈論ばっかりやっているから。いま東大法学部をはじめ,若い人にもっとがんばってほしいと思っているんですけどね。

『反骨のコツ』ではくり返し,刑法学者はいくじなしばっかりだと言われ,最高裁裁判官についてさえ「連中自身は,僕の入ったときは全くだめでね」と切り捨てられている。どうも,死刑廃止論に立たないことがそのような判断の基準のようだが,それなら,同書で「僕も教授在任中には,まだ廃止論にはなっていなかったんです」と書いているご自身の経験からも,もっと長い目で見てあげた方がよいように思うのだが。

しかし,教室で学生に死刑廃止論を講義しなかった刑法学の教授,判決において,たとえ少数意見としてでも,一度たりとも死刑反対を書かなかった裁判官が,退職後に,かつての彼と同じく振舞っている学者や裁判官を非難しののしる姿はあまり品のよいものではない。すくなくとも,賞賛すべきこととは思われない。
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# by kriminalisto | 2007-12-13 23:40 | 日記・コラム・つぶやき

『反骨のコツ』

奇妙な表題だなと思いながら,手にとっては見なかった新書版の一冊だが,新聞の書評欄の記事につられて,通勤の電車とバスの中で目を通してみた。
その途中で,卒業生の一人から,「[年配の]学者の書いた本と言うと、大抵は説教や、自慢話が多いのですが(最近出た団藤先生の『反骨のコツ』はそうですね)」というような感想をもらったのだが,まあ,それは言い過ぎだろう。インタビュアで編者である伊東准教授とお二人で,気分よく話し込んでおられるだけのことなのだから。
それにしても,東大法学部教授,最高裁判所判事,東宮侍従といった経歴をたどった人が「反骨」の生き方を語るということの違和感は拭いがたいものがある。自分の国語力に自信をなくして『広辞苑』を引いてみると,やはり「反骨=権力に抵抗する気骨」という説明がある。すると,この「権力」というものの捉え方が違っているのだろうか。
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# by kriminalisto | 2007-12-12 22:25 | 日記・コラム・つぶやき

犯罪の6割は再犯者によるもの,か?

今年の『犯罪白書』が公表されたようで,近日中にその現物を入手できるだろうから,それまで待ってもよいようなものなのだが──
各紙が伝えるところでは,今年の特集は「再犯者の実態と対策」のようだ。「犯罪の6割が再犯者によるもの」という見出しが躍っている。ちょっと読んでみると:
「犯罪者に占める再犯者の割合が約3割なのに、犯罪件数の約6割が再犯者によって行われていたことが分かり、再犯防止への取り組みの重要性を改めて浮き彫りにした。
 再犯者に関する調査は法務総合研究所が実施した。対象は1948年から06年9月までの刑法上の罪などの確定者100万人。このうち、再犯者が占める割合は28.9%だったが、この100万人が犯した犯罪約168万件について見ると、57.7%が再犯者によるものだった。」(讀賣新聞)
 再犯者問題の重要性はつとに指摘されていることで,僕の理解では,わが国の犯罪情勢の安定をもたらしている要素の中でも大きな一つが,再犯者問題の緩和──それはそれで,さまざまな段階でのディヴァージョンのシステムによる,犯罪者の起訴率の低さや刑罰の軽さ,したがって拘禁刑の適用される割合の少なさなどの結果なのだが──にあるのだが,そのわが国でも,問題はなお深刻だということなのだろう。
 しかし,ここに挙げられている数字は何だかおかしい。その発生が知られた全犯罪を誰が犯したかを知る手立てはなく,検挙率はせいぜい30%程度(交通事犯を除いた刑法犯で)なのだから,どんな根拠で「犯罪の6割は再犯者によるもの」などといえるのだろうか。上の法務総合研究所の研究方法がそのとおりだとして,そこで窺われるのは,戦後のわが国において有罪が確定した合計100万人が犯した168万件の犯罪のうち,再犯者(100万人中の28万9千人)によるものが6割に近かったということに過ぎない。
 いずれにしても,白書あるいは警察庁の統計が手に入った段階で,正確な検討作業が必要だろう。
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# by kriminalisto | 2007-11-07 22:21 | 日記・コラム・つぶやき

「15週問題」

来年度の学年暦を決める時期になって,今年もまたぞろ「15週問題」が吹き荒れた。
どこの大学も悩んでいるはずなのだが──
要するに大学における授業の質の問題であり,質を確保する全体としての授業時間の問題なのだ。2時間の授業を1コマとしてこれを15回で,専門科目では2単位,語学科目では1単位という「設置基準」の解釈を巡って,実際に15回の授業と1回の試験時間の配置を暦日に落とし込んだ提案に,猛然と異議が唱えられ,時には「当局による独断・押し付けである」との抗議が叫ばれる。
たしかに,「ハッピー・マンデー」のばら撒きや,複数大学を掛け持っている非常勤講師の不都合など,多くの困難を作り出している事情はあるのだが,しかし,教育というサービスの内容を惜しみ,いわば「上げ底」商品として提供することでお茶を濁そうという発想自体が情けないが,それを臆面も無くわめき立てることには,正直,理解ができない。それは大学の教員としての自身に対する背反行為ではないだろうか。

おそらく,近い将来には「2時間」問題が生じるだろう──現在はほとんど全ての大学で90分の授業を「設置基準」の2時間と見なしているが,そのような公認のごまかしがいつまで通用することか。外部からその是正を迫られたときの大騒ぎが,今から目に見えるような気がする。
それにつけても思い出すのは,われわれが大学に入った当時の時間割だ。朝8時から10時が第1限,10時から12時が第2限,1時間の昼休みがあって,授業は17時までだった。冬の朝の法経4番教室の寒かったこと,用務員が教室前方のだるまストーブに石炭を入れ,器用に火をつけていたことなど。 「大学の15分」という「慣習法」の説明を聴いたのも,2回生の4月,同じ法経4番教室での於保先生の民法総則の授業でだった。
──すべてはあの「学園紛争」の以前のことである。
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# by kriminalisto | 2007-10-28 00:36 | 日記・コラム・つぶやき

思いがけない再会

声をかけられて顔を上げると,思いがけない人物が立っていた。T君,相変わらずやせていたが,ノーネクタイのカッターシャツ姿で,にこやかに笑っていた。
勤務する大学の運動部のために新たに開設されたグラウンド等の完成を祝賀する式典の場。まだ真夏のものと変わらない太陽の照りつける中,スーツ姿の一団の中でのことだ。
聞けば彼はこのグラウンドに隣接する県立養護学校で教鞭をとっており,母校の運動部のための施設とはいえ,山林を伐採しての大規模な造成工事に不安を覚えて,大学の施設部局と交渉をもって来たのだという。幸い,彼の危惧したような事態は回避され,かえって,運動部の学生と養護学校生徒との交流の機運もできたりで,結果的には,喜ばしい状況が作られた,とのこと。祝賀会にも招待され,喜んで出席した,と。
具体的な経過を承知していなかったのだが,彼の話を聞きながら,本当にうれしかったのは,一つには,彼をはじめとして養護学校の関係者,あるいは地域の人々との誠実な協議と相互理解の手はずを,われわれの大学関係者が大切にしたことが確認できたことだ。
それともう一つ。T君が自分の天職を見つけ,充実した生活を築いていることを確認できたことだ。

もう10年ほども前のことだ。修士論文を提出したT君が,後期課程には進まないと言っている,と聞いて,研究科の役職にあった僕は彼と面談したのだった。今は亡きY教授の下で憲法を学び,研究者として世に出るための第一関門を通過した段階で,小学校教員になりたいという彼の願望を,しかも合格するかどうかわからぬ教員採用試験をこれから受けるのだという彼の言葉を,僕はあぶなかしげに聞き,後期課程へ進んで大学教員を目指した方がよくはないかと,説得しようとしたのだった── もちろん,説得は成功しなかった。
3・4年後になって,彼が同期のW君(当時はKG大学の民法の助教授になっていた)と結婚したことを知ったときには,「少なくとも大学教員の夫にはなったわけだ」,と密かに納得したことを思い出すが,このことは彼には言うまい。
別れ際,W君は元気かとの僕の言葉に,「実は今,二人目が出来まして」とT君は答えて,はにかんだ表情を見せた。
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# by kriminalisto | 2007-09-05 23:51 | 日記・コラム・つぶやき

日程管理はPapyrusで

もう8月になったというのに,一向に「休暇」に入れない。書かれるべき原稿のことや,教科書の改訂の作業のことが,会議の合間に頭をよぎるが,その前にレポートと答案の採点を済まさなくてはならない。
スケジュール表を眺めては,なかなか時間が取れないことに,自分でも機嫌が悪くなっていることに気づく。
中国の山東大学から,「国際組織犯罪」に関する国際シンポジウムへの招待が届いたが,10月中旬のその時期に大学を空けることができるとは到底思われない。
そういえば,手帳を持たなくなってもう4年目になる。最初はSonyのClieを2年半ほど,それに代えてNokia 6680=Vodafone 702NK2を1年余り使い,そしてこの春からは Nokia E61 へと移行した。そのつど,新しい機能に心をときめかせ,惚れこんで来た。この E61 は,日本語版をSoftbankが発売するのを3月まで待った挙句に,「法人契約でなければ売れません」と言われ,職場の事務に持ちかけて買ってもらおうかなどとも考えたのだが,「えい,面倒くさい」と思い切って Nokia の日本法人から直接自分で買うことにした次第。http://www.nokia.co.jp/phones/e61/index.shtml 702NK2のSIMカードをこれに差し替えて,従来と同じ携帯電話として使っているのだが,このE61のすごいことは,それ単体で無線LANの端末として機能することだ。自宅や職場だけでなく,JR駅などのHot Spotでもメールの確認やブラウザ検索が可能だ。6680との決定的な違いは,小さいがQWERTYキーボードがついていることで,ちょっとしたメモをとることも苦にならない。MS Officeの文書を閲覧できるとかe-Bookを読んだりダウンロードした前夜のブレーミャのニュースを聴くこともDivXビデオを観ることもできる。
そして,スケジュール管理はもっぱらPapyrus(シェアウエア)でやっている。

大概のことはできる,と折を見て周囲にも勧めるのだが,なかなか同調者が現れない。僕の方がおかしいのだろうか。
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# by kriminalisto | 2007-08-04 20:26 | 日記・コラム・つぶやき

祇園祭から大文字まで

人ぞ知る京都の夏の炎暑だが,この地の人々は「大文字までのこと」と言い合って,8月16日を待ちかねている。それにつけても,昔の僕が,百万遍近くの下宿のクーラーもない西向きの一部屋でよくこの夏の期間を耐えたものだと思う。
気がつくと7月も終わりで,5ヶ月以上もこのブログを放ったらかしにしていたことになる。──3月の初めから,ちょっと重たい役職に引っ張り出され,予想通りに生活が一変したことの,これは結果なのだが。
この間の生活の変化の中で,最も大きなことは時間の密度の変化だろうが,それは単に,いわゆる「研究」にあてる時間の絶対的な減少ないし消失だだけでなく,さまざまの事務に気力を奪いつくされ,机に座りながらも何も手につかないというような場面の増加にもあらわれている。まあ,繰り言はいうまい。

何人かから「壊れ窓」ならぬ「壊れブログ」だと注意されたこともあり,少しは心を入れかえて,適宜のメンテナンスを怠らないことにしたい。とはいえ,授業は終わったはずなのに,一向に暇にならないこの現状を何としたものか。
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# by kriminalisto | 2007-07-27 22:25 | 日記・コラム・つぶやき

ラリーサ・レイスネル

同僚のI教授にペトラジツキーのことを尋ねられた:彼の書いたものを,できれば英語のものを所持していないか,と。法と心理学について論じる際には,まずもってペトラジツキーの研究を参照する必要がある,と主張する英語論文を読んでいるのだということで。ロシア語版Googleで検索,ペテルブルグ大学の法哲学教授でカデット(立憲君主党)の大立者,ロシア革命後はワルシャワに亡命,などの基礎事実をI教授に伝え,残念ながら手もとに文献はない,と。

ペトラジツキーにまつわる一連のことが,その時すぐに思い出されなかったこと自体,僕がどれほどあの時期から遠ざかってしまったかを露呈するものだろう── 夜,就寝前にいくつかのことを思い出し,愕然とした。
レイスネルの師ではないか。

革命ロシアの法学界においてユニークな立場を占め,「革命的直観法」概念を提唱して立法領域にも強い影響力をもち,有名な「裁判所に関する布告第一号」は彼のイデーを反映したものだといわれた,ミハイル・アンドレヴィッチ・レイスネル。ワルシャワ大学法学部に学び,キエフ大学,トムスク大学などで授業を持つ一方で,革命運動に関与したとして国外追放になり,1905年に帰国後はペテルブルグ大学などで教鞭をとっていた。彼はペトラジツキーの「直観法」理論に強く共鳴したが,それはペトラジツキーが法現象の最基底に存在するものとして法意識を捉えたことによる。レイスネルの理解では,法意識の主体は具体的な人間であり,その具体的な人間は現実の社会において否応なく経済的,社会文化的な利害関係の狭間におかれるところから,平板一律な法意識などは存在しえず,それはまさに階級的な性格を帯びた複数の法意識として立ち現れるのだ。そして,ロシア革命において勝利した労働者・農民の携えていた法意識こそ,新生ロシアの法現象を貫く「革命的法意識」として,すべての立法活動と法執行の基礎に置かれねばならない。後に,「法のモザイク理論」として批判されることとなるレイスネルの主張であるが,ロシア革命直後の激動期にはその与えた影響力は絶大であった。

それらのことを追いかけていた当時,まだ若かった僕にとって,さらに印象深かったのは,むしろその娘,ラリーサのことだったかもしれない。ワルシャワで生まれた彼女は父に従って10歳でペテルブルグに移り,革命と戦争の時代の中で青年期を過ごし,10月革命の後の国内線の時期には,ボリシェヴィキ党の政治宣伝のために全国を駆け巡り,コミッサール(政治委員)として東部戦線にも赴いた。前線でのフョードル・ラスコーリニコフとの出会い,ネップ期に大使としてアフガニスタンに派遣されたラスコーリニコフとともに滞在したカブールでの日々,モスクワに帰ってのカール・ラデックとの恋,そして未だ30歳の若さでの死──チフスだった。 大きな帽子をかぶり,少し首をかしげながらこちらを見ている彼女の写真が,わずかに記憶に残っている。
しかし,最初に彼女のことを読んだのはどこでだったろうか。エレンブルグの回想録? それともマヤコフスキーの関連でだったか?
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# by kriminalisto | 2007-02-15 14:42 | 日記・コラム・つぶやき

和歌山刑務所へ

写真で見たとおりに,国道24号線側に面した和歌山刑務所は,青磁がかった色合いのタイルとガラスの壁が目立ち,とても刑務所とは思われぬ建物だった。これは管理棟だが,その背後の塀も比較的低く,目立たない。
30年ほど前にM先生のお供をしてここを訪れた際の印象は,多くはぼやけてしまっているのだが,しかし塀はもっと高く,建物も威圧的だったと思う。内部も清潔に維持管理されている印象。受刑者の居房は例の星型のものだったはずだが,これも新しくなって,並行した3棟の二階建てになっている。工場は縫製作業が中心。外部通勤制の試みとして注目されていた「いずみ寮」が廃止されたのは,結局,刑務所当局の人手不足が遠因のようだが,残念なことだ。
ここもまた過剰収容の状態で,500の定員に対し686名(137%)を収容,定員6名の雑居房に8人を入れ,布団は7組しか敷けないので,布団を出した押入れの上段が8人目のベッドになるという状況で,このベッドはなかなか人気があるという。収容者の中に外国人が混じるのも,昨今の状況からすれば,当然ということだろう。
舎房を見せてもらっている際に築4年のはずの壁のところどころにカビらしい汚れが見えた。「多数の者が生活しているとどうしても湿気がこもりまして」と案内の刑務官が説明 ──だが,僕は別のことを連想していた。

今回,学生を伴って少し足を伸ばし和歌山刑務所を参観することにした動機の一つは,ここにゾルゲ事件の関係者が収容されていたことを思い出したことにある。(参観から帰って,確認のために段ボール箱をかき回して探し出した。尾﨑秀樹『デザートは死』(中公文庫1998年)で読んだのだ。)
ゾルゲ事件に関与して1941年9月に検挙された北林トモは,クリスチャンとしての立場から反戦平和のための運動に共感し,宮城与徳の在米中の活動に協力したことをとらえて,治安維持法・国防保安法違反で起訴された。判決は懲役5年。当初の収容先は知らないが,和歌山刑務所が女子刑務所となった44年春にここに移されたのであろう。45年2月に危篤状態で保釈,数日後に死亡した。58歳だった。
強く印象に残ったのは,その病名だ。疥癬だったという。
和歌山刑務所で彼女が入れられたのは北向きの独房で,唯一の窓からも陽は差さない。湿気と不衛生のために,最初は手の指の間に始まった疥癬が,一月と経たぬ間に全身に広がり,かさぶたができ膿疱がつぶれ,それがまた新しい膿疱をつくり,悪臭を発するようになり..... そして当時の食糧事情からくる栄養失調。一般社会に居れば何の変哲もない皮膚病に過ぎない疥癬が,大柄だったという一人の女性を簡単に殺してしまったのだ。 懲役刑はたしかに自由刑の一種だが,その執行条件によっては生命刑ともなりうるということが,ここにもよく示されている。
キリスト者として,「わたしは一人で祈りたい。平和は必ず勝つ。」と繰り返していたという北林トモ。「写真花嫁」として34歳でアメリカに渡り,農業に従事する夫とともに平凡な家庭を営み,洋裁の私塾を開いてもいたという彼女は,帰国後に囚われの身となり病に犯されたこの和歌山の地で,ロサンジェルスでの陽光あふれる日々をどんな想いで振りかえり,夢に見たであろうか。
和歌山からの帰途は気分が沈んだ。
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# by kriminalisto | 2007-01-19 15:11 | 書籍・雑誌

Nokia E61

Vodafone=Softbankの携帯電話を使っていた娘が,機種を更新する機会に僕と同じNokiaのスマートフォンにしたいということで,各機種の比較。最近発売された”Softbank 705NK=Nokia N73”に決めたのだが,その紹介記事を見ている際に,偶然,目にとまったのが”Nokia E61”だ。 http://www.nokia.co.jp/phones/e61/index.shtml これは面白そう,欲しい,と気持ちが騒ぐ。
Sony Clie を諦めて,Nokia6680=Vodafone 702NK2 に乗り換え,これで日程管理までやろうとして1年が過ぎたが,やはり,日常的に困惑しているのは,2点:ディスプレイの小ささとテンキーでの日本語入力の非力さだ。これが多少でも改善されるのであれば,E61 に乗り換えようか,と考え込んでいる。ちょっと高いか,それに,発売早々在庫切れとのことで,しばらくの余裕はあるようだし...
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# by kriminalisto | 2007-01-13 12:12 | 日記・コラム・つぶやき

気の重い年明け

例年のこととはいえ,通り一遍の年賀の言葉とかき集められたタレント達のばか騒ぎが延々と続くと,ニュース番組が終わると同時にテレビのスイッチを切ることになるのだが,1月1日夜のNHK地球特派員スペシャル「地球マップ2007 “格差”と“競争”にどう立ち向かうか」(NHK BS1)は,例外的に,見応えがあった。グローバル化の歪みを視覚化した“地球マップ”を使いながら,手前勝手な「グローバリゼーション」の合言葉の下に強引に推し進められる国際的な収奪と国内での格差拡大の実態を描き出していた。姜尚中,伊藤洋一,江川紹子,榊原英資といった面々がイギリス,アメリカ,メキシコ,中国などの現状をレポートしながら,(もちろん多くの点に温度差を伴いつつ)この眼前の混乱をどう捉え,それにどう対処するかを論じていた。まさに,「勉強になった」が,同時に,もどかしい思いも残った。

番組では触れられなかったが,グローバリゼーションによって生まれた“格差”と“競争”に対する,もっとも尖鋭な形での反応が犯罪だということも指摘されるべきだろう。
貿易市場の拡大が経済法則からする必然であり,その地球規模化は早晩予想されていたことであるとしても,それに犯罪現象の拡大が随伴するとの予測は,これまで語られてこなかった。
しかし現実に生じているのは,多様な背景をもつテロ犯罪の流行,地域紛争や宗教的な紛争にともなう人権侵害あるいは難民の大量発生,そして,麻薬・薬物などをはじめとする国際的な犯罪組織の暗躍などといった,各種の国際犯罪の噴出だ。かつての冷戦構造の世界においては,東西の両陣営の内部において強権的に押さえ込まれ,あるいはイデオロギー的に収斂・表出を妨げられていた各種の民族的な利害や宗教的・文化的な志向が,そのたがの外れたことによって生じた(地域的な)権力の空隙を狙って,各種の組織形態をとって自由な活動を開始した,その一つの表れが各種の組織犯罪なのだと見るべきだろう。具体的な犯罪被害は,先進工業諸国において,テロ被害や薬物依存の拡大として注目され,それ自体が新たな社会不安と排外主義的な風潮をもたらしているが,被害は,しかし,実際には欧米諸国以上に中東や東南アジアの諸国において深刻だ。テロ攻撃の矛先はまずもって同じ地域に住む異民族や異教徒に向けられ,外国資本と組んでの天然資源の囲い込みが暴力的に行われ,人身売買の被害者はとりわけてそれら諸国の女性や子供だ。弱体でときに腐敗し未整備な権力機構は地域社会の安定も住民の安全も護ることができず,国境管理も不十分なまま、犯罪組織の活動を野放しにしている。のみならず,紛争により生じた難民を劣悪な環境にさらし,また伝統的な経済構造の崩壊により多数の失業者を生むことによって,犯罪組織の構成員を不断に補充している── これもまた,明白なグローバリゼーションの「成果」とされなくてはならない。

この,圧倒的な雲海に地上のすべてが飲み込まれていくような未来図を前に,われわれはどう抵抗できるのだろうか。気の重くなる2007年の年明けだ。
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# by kriminalisto | 2007-01-02 13:03 | 日記・コラム・つぶやき

原稿の期限からの連想

われわれのような年代になれば誰でも,一つや二つは,あるいはもっと多くの,気がかりなことを抱えて毎日を過ごしているものだろう。その場合,むしろ不思議なことは,それでも普通の生活を人々は営んでいることの方かもしれない──いくら気がかりなことがあっても,それだけで煮詰まってしまえないのだ。
こんなことを思うのも,現在編集中の論文集に,予定通りの期日を過ぎてもなかなかに原稿が集まりきらぬことがあるからだ。出版社との約束の期限の「本当の限界」が近づく一方で,「書けない」ので「もう少し待ってほしい」との言いわけや,あっさりと,督促のメールへの無反応が続く。気の弱い僕としては,ただひたすらに「お願い」し,いらいらを募らせるしかない。
「そんな本の編集など引き受けなければよいのに」,と能天気に家人はのたまうが,科研費の後始末やら何やらの儀露とかで,首の回らないこの状態をわかってくれというのは無理なことなのだろうか。

しかし,考えてみると,原稿の期限を守る人とそうでない人というのは,まったく違った"人種"で,ことほどさように他の局面でも,期限あるいはより一般的に約束ということに対する構えが違うような気がする。僕自身がかかわってきたいくつかの共同作業を思い浮かべてみて,確かにそうだ,と思う。
これはどういうことなのだろうか。
何か,幼少期に強い印象を与える原体験があって,期限や約束は守らなくてはならないということをその人格の基層に刷り込まれた人とそうでない人となのだろうか。あるいは,もっと以前に,いわば遺伝的に決定された"几帳面さ"あるいは"誠実さ"といったその人の人格そのものの特質に由来するのだろうか──

かつてN先生にうかがった瀧川先生の言葉:人の生は結局は時間なのだから,約束に遅れた貴君はその時間の分だけ私の生命を奪ったのだということを知りなさい── 凄いとしか言いようがない。もし自分の先生にこう言われたら,僕など,そのままビルの窓から飛び降りるか,少なくとも,大学も職場も捨てて郷里に引っ込んでしまうだろう。
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# by kriminalisto | 2006-11-16 00:21 | 日記・コラム・つぶやき

「べトンの要塞」

学会とあって,久しぶりに中央大学多摩キャンパスへ。ますます建物も増え,要塞は拡張の一途をたどっている。立川駅からのモノレールが繋がり(2000年のことらしい),格段に便利になったが,そのためにますます非現実的な空間になったような気がする──モノレールの駅に降り立つと,周辺に民家の一軒も喫茶店の看板も見ることなく,そのまま直接にキャンパスに入ると,この日はたまたま「ホームカミングデー」ということで,白く輝く無機質な建造物群の間に,多くの卒業生らしい年配者が集っていた。ここが彼らの「ホーム」だというのは,何かの冗談のような気がしたが。
もちろん,勉強するのには最上の環境だ,ということなのだろうが,30年近く前に初めてキャンパスを訪れた時の印象が薄れない。
学会のほうは,まあ,研究報告もシンポジウムも,それなりに興味のある内容で,勉強にはなった。
そして,何人かの知己にかけられたのは予想通りの言葉──新司法試験の結果に関わっての「大変だったね」だった。彼らがどんな気持ちでそのように言っているのかは,あえて,斟酌しないことに決めてはいても,当方の身に応えることに変わりはない。
この間にいろいろの「反省」と「検討」があり,「見直し」や「改善」,「強化」の作業が進められたが,僕個人にとっては何ごとも救いにならない。何よりも,指導した学生たちの中の不合格者たちの顔が思い浮かぶのだ;その誰一人として,恨みがましい非難を口にしないだけ,なおさらに僕自身の自責の気持ちは強まる。もっと厳しく,もっと的確な,指導を重ねるべきだったのだ。お互いに未経験とはいえ,少なくとも教師として,全国的な状況と彼らの力量とをより客観的に見ることができたはずだし,できなかったというのであれば,それをするための方途を尽くすべきだったのだ。この露呈された力量の不足をどう埋め合わせればよいのだろうか── 
法科大学院の制度としても,未修者第一期生が出揃う来年の試験が,おそらく,最後の検証の開始を告げることになるだろう。いかにその時に臨むか,いずこの大学も悩みは深いはずだ。
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# by kriminalisto | 2006-10-23 19:57 | 日記・コラム・つぶやき

当事者主義の訴訟は

ちょっと確認したい点があって,学生時代から手もとにある平野龍一博士の刑事訴訟法の教科書を開くと,「当事者主義の訴訟は,合理的な精神を前提とする。」との一節が目に飛び込んできた。
続けて,「当事者主義訴訟は,国家権力を悪とし,『権限を持つものには権威を与えてはならない,権威を持つ者には権限を与えてはならない』とする思想を背景とする。そしてはじめから(すなわち,捜査機関の)権力の行使を制限しようとするのである。しかし,現在の都市化し,社会化した国家においては,国家権力をただ排斥するだけでは,すまされない。捜査機関に多かれ少かれ,権限を与えざるをえなくなる。これを否定して当事者主義の形骸だけを維持しようとすると,権力は法外の暴力となり『保障のない糾問主義』(Inquisitorial system without its guaranty)となる危険もある。そこで,むしろ権力に権限を与えて,そのかわりにこれを法的にコントロールした方が得策ではないかという問題がおこる。」
懐かしい平野先生の肉声を聴く思いがする。奥付で確認すると1958年初版・1967年初版第19刷となっている。であれば,現行刑事訴訟法の施行10年ほどの時期に,気鋭の刑事訴訟法学者としての先生が書かれた文章だということになる。正直,すごいなと思う。
この一節には,当時よく使っていた青い色鉛筆で傍線が引かれている── が,20歳になったばかりの僕は,何を理解したつもりになっていたのだろうか。

学部学生のコンパに付き合った後,これから季節はずれの花火で遊ぶという彼らと別れ,久しぶりに先斗町のウオトカ・バーへ。意外にも客は誰も居らず,ゆったりとマスターのNさんと世間話。最近はこれが人気があります,と勧められた《スタンダルト》は,たしかにずしりと手応えのある味だが,何かしら特徴がない。《スタリーチナヤ》を重くしただけのような感じ。これがスタンダルト(基準)か,と思うとつまらない。むしろ《デルジャーヴナヤ》の方が,僕には好みだ。まあ,実際には,ラベルそのままに颯爽とした《クバンスカヤ》を味わうことができないのなら,何でもよいのだが。
もっぱら《デルジャーヴナヤ》を注いでもらい,当事者能力の残っているうちに帰宅。
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# by kriminalisto | 2006-10-04 09:56 | 日記・コラム・つぶやき

腎臓を売る

メディアが一斉に伝えるところでは,愛媛県で昨年行われた生体腎臓移植手術をめぐって,臓器売買の事実があり,臓器移植法違反で元患者と仲介者の2名が逮捕されたとのこと。( http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061001it11.htm )
約束した対価が実際に支払われなかったことから,臓器提供者が警察に相談するなどして発覚したようだが,やはりそうか,という感想だ。
一方に臓器を必要とする人がいて,他方には提供したい人がいる──問題は,その両者の間に存在する経済的な格差だ。移植医療は無料ではない。そして,間違っても,豊かな側が貧しい側に臓器を提供するようなことはないのだ。
腎臓移植手術の場合,健康保険の適用を受けても,予後の対応を含め1年で600万円程度の負担が必要とされている。となると,そのような医療を受けられる人と受けられない人とが生まれるのは当然だが,ここにはさらに,提供される臓器の少なさから来る「臓器獲得競争」が生じざるをえない。つまり,高い値段をつけた人のところに,優先的に臓器は行くのだ。そんなことはない,との叫び声が起こりそうだが,しかし,腎臓提供者を求め中国や東南アジア諸国で移植手術を受けようとする日本人が多く存在することをどう考えるべきなのだろうか。国内でも,実際には,今回の事件のような事例は多く存在したのではないだろうか。
「臓器移植ネットワーク」のような団体の活動が,きちんとした透明性を獲得し,日本社会で広く受け入れられるまでには,まだまだ時間がかかりそうだ。そしてその他方で,死後の臓器提供を自ら選ぶ人を,脳死論議の性急さが戸惑わせている。
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# by kriminalisto | 2006-10-02 00:13 | 日記・コラム・つぶやき

ボロジンスキー

大学院生の中に勇敢なお嬢さんがいて,この夏,モスクワとサンクト=ペテルブルグを旅行して,無事帰国したとの知らせとともに,お土産の黒パンが届けられた。
ほっとして,嬉しかった──ほっとしたのは,彼女がともかくも無事に帰国したらしい(今度会ったときにいろいろと聞いてみよう)こと,嬉しかったのは,黒パンが到着したことだ。
何だ,パンのごときで,と言うなかれ,これはとても貴重なものなのだ。まず,日本では手に入らない。(横浜の「サンドリヨン」というパンやさんが,ほぼこれに近いものを作って,インターネットでも注文できるが,やはり本物ではない。) しかもボロジンスキー! ボロジノというのはモスクワの西100kmほどの村の名前で,そこのライ麦を使ったパンなのかもしれないが,それよりも,1812年のフランス軍との大会戦で有名な平原で,「ボロジノ」というのはロシア人にとって格別の思い入れがある名前らしい。それはともあれ,黒パンとしては超一級のもの。早速,ペーパータオルでくるみ,ビニール袋に入れて,冷凍庫へ。
これでしばらく楽しめる。
と思ったとたんに,不愉快なことを思い出した──クバンスカヤが無かった。
2000年頃から,日本ではなかなか買えなくなり,しかも,味が変わってしまった。かつてのような自然な風味が無くなり,機械的な味がするようになった。さりとて,アブソリュートのシトロンに乗り換えられるものではない。まったく別物だ。どうやってもう一度,本物のクバンスカヤにたどり着けるか..... 心の底でおそれているのは,もしかしたら,本国でこの銘柄が無くなっているのではないかということだ。
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# by kriminalisto | 2006-09-09 14:52 | 日記・コラム・つぶやき

思いがけずの 辻 邦生

中学・高校と一緒だったA君が郷里の国立大学で医学部の教授となり,専門が皮膚科で頭髪の権威だということは知っていた。毎年交換している賀状でも,当方の頭髪が無くなってしまう前に,画期的な新薬の発明をと,祈らんばかりに頼んできたものだ。
知らなかったのは,彼が辻 邦生のフアンで,その全作品に惚れ込んでいたことだ。
郷里で開かれた同窓会の同じテーブルで,偶然にこの事実を聞き,とたんに嬉しくなって,思わず二人で話し込んでしまった。未完に終わってしまった『フーシェ 革命暦』の大構想,『春の戴冠』に描かれたフィレンツェ,『西行花伝』での西行の描き方,『安土往還記』での信長のいかに魅力的なことか。そして,何よりも『背教者ユリアヌス』! 
かつて大学の記念祭典にノーベル賞作家のOを呼ぼうという動きがあり,彼が強く反対して辻 邦生を推薦したということもあったとのこと。当然のことだろう,およそ比較にならない。圧倒的な言葉の力,言葉の美しさ──そう,すべての若い人たちにきちんと読ませるべきは,まさにこれらの本なのだ。
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# by kriminalisto | 2006-08-15 19:55 | 日記・コラム・つぶやき

同窓会 雑感

格別の思いいれも無くて,長い間出席しなかった郷里の高校の同窓会だが。今回出席したのは,卒業後40年という区切りにあたると言われて,「ということは,この機会に会わなければもう一生会えないかもしれない」と思ったことが大きいだろう。電話で誘った友人のYのように,「別段会いたい人間が居るわけでもないし」,と尻込みする気分はどこかに残っていたのだが。
団塊の世代のわれわれの学年は600人ほどもいたはずだが,出席者は100人ほど。多くの懐かしい顔に出合った──というのは,むしろ,各人が胸に着けたカードにプリントされた卒業写真の顔の方で,生身の身体に着いた顔はとうてい見分けがつかない。それでも,3年間の在学中に同じクラスになったことのある何人かは,昔のままの雰囲気をたたえていて,断片的な思い出話など。

それにしても(と思ったことだった),一別以来われわれの世代がたどった歴史はそれなりに振幅の大きいもので,大学では学園紛争,卒業後は石油ショック,アフガン戦争,地価バブル,平成大不況,社会主義圏の崩壊,テロ戦争,と振り回される中で,多くの者が個人生活の上でもさまざまに成功と失意とを味わってきたに相違ない。出席しなかった者の中には,あるいは,気分的にも経済的にも,出席するゆとりのない友人たちがいたことだろう。だが,はっきりしているのは,われわれの今の経済的な富裕であれ窮迫であれ,あるいは社会的な地位もまた,多少の天分や努力の寄与はあったにせよ,その大部分は偶然的なものの作用の結果なのであり,そしてさらに,たとえば40年後には,ほとんどすべての者にとって,何の意味もないものに返っていることだろう。
それでも。数えた人によれば,われわれ600人の同窓生の内では110人余が医者になっているそうだ。とても尋常な比率とは思われないが,ニ次会の席で赤ら顔でカラオケに向かい,ゴルフの腕を自慢するだけのそれら面々を見ていると,日々この手の「成功者」の顔を見ながら暮らしていくことはさぞかし不愉快だろうと,この地に住んでいない幸せを思わずにはいられなかった。
もう一つ発見,というよりは再確認したのは,人間の基本的な性格,人柄は簡単には変わらないということだ。40年経っても,にきび面のあの頃とまったく変わらずに横柄で,開口一番,予想したとおりに人を不愉快にせずにはおかない男がいる一方で,冗談の一つも言わずに相手を愉快な気分にさせ,打ち解けさせる者も,破天荒,支離滅裂な話をがなり立てているうちに,不思議と相手を説得してしまっている者もいる。当方の顔を覗き込みながら,真剣に話し込んでいたはずなの相手が,ふぃと居なくなってしまって,ああ,40年前もこんなことがあった,と思い出したりもした。
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# by kriminalisto | 2006-08-15 14:53 | 日記・コラム・つぶやき

『風の影』

通勤の行き帰りの読書の楽しみは,この間しばらくおあずけだった(全般的な気ぜわしさと良い作品の不足のおかげで)のだが,久しぶりの手応えを感じさせてくれる作品に出会ったように思う。この,スペインで2001年に公刊されたカルロス・ルイス・サフォンの小説が,木村裕美さんという優れた翻訳者の手でわが国に紹介されたことの幸運を思わずには居られない(集英社文庫・上下2冊)。
小説の舞台となっているのは,凄惨な内戦の後,ヨーロッパ諸国との奇妙な力のバランスによってヨーロッパの大戦の直接の惨禍を免れたスペイン,バルセロナ。ある日、父に連れられて訪れた「忘れられた書物の墓場」で1冊の本と出会った少年が,まずはその『風の影』という本に魅惑され,その作者の足跡を探すうちに多くの,錯綜する謎につきあたり,またいつしかその作者と自分の運命が似た軌跡を描いていることに気付き,この一冊の本をめぐって,謎の作家カラックスと少年ダニエルとの過去と未来とが交差する――
多くの評者が「ロシア人形」のような,と言っているのはマトリョーシカのことだろう。入れ子細工のような,一つの謎は新たな謎を生み,それはそれでまた次の謎を引き寄せるといったような,ゴダードの小説とも似た作風だ。
こま切れの読書はまだ途中だが,このような作品に出会うと,早く全体を読んでしまいたいという気持ちと,それがあまり早く終わってしまうことが残念で,むしろゆっくりと,いつまでも読んでいたいような,アンビバレントな気持に捉えられる。
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# by kriminalisto | 2006-07-29 00:39 | 日記・コラム・つぶやき

まもなく夏休み

小学校が夏休みになったこの時期は,大学は前期末の定期試験で,「夏休みに遊ぶために,今の苦行に耐えよ」とばかりに,学生にとっては大きなヤマ場となっている。教師の場合はもう少し遅れて,その後の採点作業が大きな負担となるのだが,これは人によって様ざま──本当に,試験会場から事務室まで答案を持ち帰る間に採点が終わってしまうような教員も,実に半月以上も,単調な答案・レポートの採点に明け暮れることを余儀なくされる教員もいるのが実情だ。つまりは,科目の性格と受講生の数によって決まってくるわけで,仕方がないとは言え,「同じ賃金を貰っているのに....」と恨めしくなることも。
まあ,それでも,その後に夏休みがあるではないか,と言われるのだが,これがかなりの誤解を含む評なのだ。つまり,開講期間中が授業準備や教材作り,そして教室での精力を絞っての授業,学生の求めに応じての補講や答案の添削,果てはネットを通じての質問への対応に追われるようになった昨今では,継続的なテーマでの研究と思索,原稿執筆に当てられる時間は,ほぼ,夏の休暇時に限られており,この期間にいかに精力的に働くかが,決定的に重要となっている。ある意味では,開講期間中以上に忙しく,精神的には大きなストレスのかかる「休暇」なのだ。
懐かしいのは「むかしの平和」。7月の声を聞くと,教壇で先生が「暑いからもう授業は止めておこう」などと言い,9月の終わりに授業が再開されたかと思うと,すぐ秋になってしまったものだった。多分,正常なのは今の状態だろうが,この余裕のなくなった分だけ,わが国の大学教育は充実したのだろうか。
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# by kriminalisto | 2006-07-23 21:39 | 日記・コラム・つぶやき

T-n先生のこと

誰しもこんな時期があるのかもしれない。このところゆかりのある人の訃報を聞くことが続く。

先日,T君から聞かされたT-n先生の死という情報にも,特別の感慨があった。
もう30年近くも前に,学部の賓客として来訪中の先生を,最も若年の助教授として広島訪問にお供したことを皮切りに,留学中のモスクワで再会し,研究分野が異なるにもかかわらず,さまざまに便宜を図ってくれ,また郊外へのエクスカーションに誘ってくれたこと,大雪の一夜,家族ともどもお宅に招いていただいたこと,その際にご馳走になったコーカサス風のピラフ,奥さんと息子を交えての温かげな家庭の雰囲気のことなど,懐かしい多くの場面が思い出される。
そして連邦崩壊と脱社会主義化の激流の中,研究所の所長として,研究所の権威と財政を共にまもるための先生の悲壮な闘いぶりは,時たまに彼の地から流れてくる噂話の中でさまざまに聞かされたことだった。
90年代の終わりに名古屋大学で短時間の立ち話をして別れたのが,先生とお会いした最後になった。そのあと,2002年の秋に,大学間交流をめざしての協議のために先生が京都大学に立ち寄られた際には,当方は校務のために会いに行くことができなかったのだが,先生を応接した京都大学のO教授のゼミにたまたま娘が所属しており,彼女が僕に代わって挨拶することができた──先生は「こんなちっちゃな,赤ん坊の頃から知っている」と想い出を語り,懐かしがってくれたとのことだった.....

T-n先生,親愛なボリス・ニコラエヴィッチ! どうぞ安らかに。

あらためて思う。さまざまな人々との繋がりの中に人の生があるのだと,ネクロローグを書くということは,つまりは自分の生の一部に別れを告げているということなのだ,と。
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# by kriminalisto | 2006-06-25 17:10 | 日記・コラム・つぶやき

それでも季節は

 なかなか理解してくれない学生に事後強盗と居直り強盗との違いを説明していて,最後に気づかされたのは,相手が「居直り」の意味を知らないということだった。「それって,逆ギレのことですか?」って,君......

 気がつけば5月も終わりで,入梅間近かとなってしまった。4月と5月,本当に忙しかった。例年のことながら,授業準備と学生の指導で週の大半の時間をとられ,事務仕事その他に残りの時間をすべてあてても,結局,週末には不機嫌な気分だけが残るようなことの繰り返し。慢性的な不安や焦燥感がつきまとう。
 
 この間に,思いがけず恩師の奥さんが亡くなるということがあり,まさに動転した──そのひと月前には友人を伴ってお宅にお伺いし,世間話をしたばかりだったのに。
 もう遥か昔になったある日,学部4回生になったばかりの僕はT君と二人で,小さなケーキのはこを下げて,お宅にお邪魔し,歓待されたのだった。その日以来,さまざまな時期に,さまざまな状況で,奥さんと会う機会があったが,いつも穏やかに接していただいた。
 近年は慢性的に体の不調に悩まされておいでだったが,それも若い時分の病気の後遺症あるいは気分的なものとして,かかりつけの医師のケアを受けて対応しておいでだった。それが,隠れていた癌が急に活性化して僅か半月で命を奪うなど信じられるだろうか。しかも継続して医師の診察を受け,その管理下にあったというのに。
 言葉もない。残念だが,今はただ,ご冥福を祈ることしかできない。

 重苦しい気分の中の,品の悪い幕間喜劇。
 授業のために研究室を出ようとする間際に一本の電話。出てみると,「**テレビの『**ビアの泉』のアシスタント」なる女性からの質問。「著名なロシアの性犯罪者にスケベビッチ・オンナスキーという名前の人物が居るという情報は本当でしょうか」。何のつもりで僕の所へこんな質問が来るのか,まったく理解できない。が,「そんな話しは聞いたことがありませんね。だいたい,その人物に名が無いじゃないですか」と。
 それから,スケベビッチ・オンナスキーは父称と姓のつもりだろうが,名が無い,ということは,多分,ロシア人の名前のことなど知らない人間が勝手に作った「名前」だろうと説明をし,最後に,「あまり出来のよくない冗談でしょうね」,と言っておいた。「そうすると,嘘ですか。」「ガセですね。」
 あとでネットを検索してみると,しかし,この種のうわさ話は掃いて捨てるほどにある──ご苦労なことだ。電話をかけてきた番組も当分は「ネタ切れ」になることもなさそうだ。
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# by kriminalisto | 2006-05-30 13:27

今年の桜を送る

 しつこく降る雨の中を,誘われて,白川沿いの桜を見ようと巽橋近くのお茶屋の2階へ。
 窓から西に向かって,この世のものとも思われぬ桜花の連なる光景を眺め,あでやかな着物姿の芸妓さんたちの酌を受けながら盃を口へ。人々が嘆声を上げる中,雨に打たれて花びらは散り,白川の川面に浮かんで運ばれて行く。京に桜の名所と名のつく場所は様々にあるが,この白川の夜桜に勝るものはないと,常々思ってきたが,このような場所から,このような角度で,見ることができようとは思ったこともなかった。将来にも,二度とあるだろうか。
 雨は止まず,花はいよいよに美しい。確実に,今年の桜はこれに止めを刺した。いくら眺めていても見飽きることはない。時間よ止まれ,と言うべきはこの一瞬ではなかったか。
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# by kriminalisto | 2006-04-12 01:13 | 日記・コラム・つぶやき

射水市民病院の事件

 昨日の夕刊で報道された射水市の「安楽死」事件について,今日の新聞各紙とテレビ・ニュースが争うように様々の報道をしている。この場合,やはり問題なのは末期段階での延命医療打切りについて患者自身の真摯な嘱託があったかどうか,患者が意思表示できなかった場合には,その肉親の「人間的な」申し出があったかどうかだろう。法的にはさまざまな手続きが要請されるにせよ,真に死期が切迫した状態の下では,それが唯一かつ最終的な条件だろう。今回の射水市民病院外科部長の対応が,その条件にかなったものだったかどうか──今後明らかにされるだろう事実経過にそくして,判断されなくてはならない。
 毎日新聞の記事では,末期医療について,延命治療中止を望む国民は7割を超え,医療関係者では8割に達した,という厚生労働省「終末期医療に関する調査等検討会」の03年の世論調査結果を紹介している。おそらくそのようなところが多くの人の実感だろう。とかく元気な人は,自身についても「余命いくばくもないのであれば,無理をして生かしてもらう必要はない」と考えていることが多いものだ。
 この問題には,しかし,もう一つの側面がある。それは高額に上る医療費の問題だ。末期のがん患者の延命に費やされる,基礎的な入院費用に加えての人工心肺装置の使用経費,抗がん剤その他の医薬品代,差額ベッド代等々,気の遠くなるほどの費用負担に誰もが耐えるわけではない。肉親であれば,しかし,生活費を削り高利の借金を重ねてでもそれに耐えねばならないのであろうか。とてもそうとは思われない。では,患者の費用負担の限度に応じて,末期医療の密度と期間に格差を設けるのか。おそらく,医療現場で実際にはそのような「死の不平等」は進行しているのだろうが,しかしそのことが正面から語られることはない。
 ここには関係者すべてが知らん振りを決め込んでいる欺瞞があり,そのことを抜きにした「安楽死」論議にはいささか冷笑的にならざるをえない。
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# by kriminalisto | 2006-03-27 00:16 | 日記・コラム・つぶやき

鷗外の「妄想」

 昨年末に,結局,Clieを諦めて,NOKIAのスマートフォン(6680)に乗り換えたのだが,これまた様々につつきまわして,日程管理ソフトやBook Readerをインストールしたりフォントを読みやすく変えたりして,それなりに安定した使用環境になっている。そこに,"青空文庫"からいくつかのファイルをダウンロードして,バスの中などで他に読むものが無いときにはそれを読んでいるのだが──
 昨日,偶然に目にとまった文章。とても,100年近くを隔てて聴かされた言葉とは思われなかった。

 「生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策(むち)うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪(あくせく)してゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上(しあ)げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後(うしろ)に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策(むち)うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇(ひま)がないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗(のぞ)いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭(むち)を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後(うしろ)にある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒(さ)まさう醒(さ)まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
 それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞台で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。」
                              森鷗外 「妄想」(1911年)
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# by kriminalisto | 2006-03-10 20:09 | 日記・コラム・つぶやき